大阪市で学校問題児の隔離教育が決定!良く決断した橋下市長にエールを送りたい

 問題行動を繰り返す子どもへの対応について、大阪市教育委員会は10日、一定レベルを超える場合は在籍する市立学校から一時的に引き離す特別教室の新設を正式に表明した。橋下徹市長は「(問題行動によって)まじめにやろうとする生徒らが馬鹿を見ることはあってはならない」と述べ、新設を推進する姿勢を明確に示した。
 この日、橋下市長と市教委の会合が市役所で開かれ、大森不二雄・教育委員長(首都大学東京教授)が「深刻な問題行動を起こす子どもにしっかりとした指導とケアが必要だ」と説明。児童・生徒に対し、出席停止の措置をとって在籍校からいったん引き離し、特別教室で集中的に指導することに理解を求めた。児童・生徒一人ずつの状況をみながら対応する意味から、「個別指導教室(仮称)」と呼ぶ方針も示した。
 大森教育委員長は「(一部の問題行動によって)学習する権利が十分に守られていない。きちんとケアしたい」とも強調。橋下市長は「(個別指導教室では)必要があれば、生徒1人に複数の教員をつけて指導するような手厚い体制をとるべきだ」と注文を付けた。
 同教室の位置付けについて市教委事務局は、校内暴力や非行などのほか、著しい授業妨害などを想定。激しい暴力や恐喝行為、凶器の所持や強盗行為などについて、警察など関係機関と連携したうえで、同教室で集中指導する。専門知識や豊富な経験をもった教員が指導にあたる方針だ。(阪本輝昭、西見誠一)

これ「問題児童らの特別教室新設 大阪市教委が正式表明」と題した朝日新聞デジタル6月10日23時30分の報道記事である。

 私は良くぞやったと橋下徹市長を褒めてあげたい。今まで手を付けられなかったのが不思議なくらいである。これ等戦後教育の失敗策の見本みたいなもんである。結論的に言えば、教師と生徒の関係が逆転してしまったのが原因である。要するに教師が生徒に舐められたからである。これやくざの世界と同じである。やくざは相手が強いとなると自分では絶対と言っていい程、以後は手出しし無いのが通例である。弱いとなれば束になってかかってくる。今回の問題児はそれが長年に集積されたものである。この報が出ると案の定、物分かりの良い先生方から早速批判が出始めた。どんな生徒にも人権もあるし長い目で見守って・・・・・・・・・等とほざいている。そんな先生方がこのようにしてしまったと言う事にもちろん気づいて居ない。別図にあるように、レベル4ないしレベル5になればもうこれは犯罪である。それさえも気づかず、旧来通りに生徒のためとの表文句で、やり過ごそうとし、やり過ごして来たのである。
 私事で悪いが、我々団塊の世代ではとても考えられないのである。我々は体育系で育って来たのである。少しくらいのしごきは当たり前と言うより、先輩に稽古を付けてもらうと言う様な感覚で育って来た。だから少しくらいの打撲跡や痣(あざ)等はかえって勲章みたいなものだった。またどんな乱暴な男でも、暴走族を張った男でも、社会人になってみると、気持ち悪いくらい普通の常識的な人間になってるのが良い証拠である。それがどうだ、我々が社会人になってわが子たちが学校に行くと、ちょっと転んだ擦り傷でさえも担任の先生から詫びの電話が来るようになってしまった。どうしたのだろうか。ちょっと触ったくらいでも、時と場合によっては暴力沙汰と捉えられる。何でこんな世の中になったしまったのだろうか。大人が子のようにしてしまえば当然に生徒子供はつけあがるのは当たり前の道理である。
 もちろん悪いのは教師だけではないが、少なくても子供・生徒はほぼ1日は生徒として学校に居る事だから私はそれなりに教師の責任と思っている。今ここで隔離してまでも教えないとやくざと同じになってしまう。世の中年上や先輩や上司は偉いんだ、良し悪し別に話を聞く事が出来る人間に解からせねば出来ないのである。押さえつけてもである。自分より強いものが居ると言う事を今教えなければならないのである。丁度これは動物の掟で強いものが弱いものを従えると言う論理を教え込ませなければならないのである。今までの物分かりの良い、「長いものに巻かれろ教育」はいらないのである。後世に禍根を残す前にぜひやり遂げて頂きたいと私は橋下さんにエールを送りたい。
 
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