偽りの万引きの前科により中学の生徒が自殺 最近の教師が聖職でなくなった良い事例だ

 広島県府中町立中学3年の男子生徒(15)が昨年12月に自宅で自殺していた問題で、町教育委員会は8日夜に記者会見し、「この生徒が万引きをしたという誤った記録を基に、志望校への推薦は出せないと伝えていたことが背景にあるとみられる」と説明した。
 高杉良知教育長は「貴い命を失うというあってはならないことが起こり、教育長として心からおわび申し上げる」と謝罪した。
 生徒は昨年12月8日午後5時ごろ、自宅で倒れているところを父親に発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。
 町教委などによると、生徒は私立高の受験を希望し、受験には学校推薦が必要だった。しかし、1年生のときに万引きをしたとされる記録があったため、学校側は自殺前の進路指導で、推薦はできないと生徒に伝えていたという。
 生徒の自殺後に学校側が調査したところ、生徒は万引きをしておらず、誤った記録に基づいた進路指導をしていたことが判明。学校側のミスがなければ推薦基準は満たしていたといい、町教委は第三者委員会を設置し、進路指導と自殺との関連を調査する。
 
 
これ「誤った非行歴で推薦出さず=中3自殺の背景か-府中町教委が会見・広島」と題した時事通信3月9日248の報道記事である。
 
 
 何故こうも行政は事が起これば皆神妙に頭(こうべ)を垂れるのか。どうして画一的にに相対的なマニュアルに固執するのか?特に教育は特徴的だ。
 この事に関して言えば、担当教師は相談を受けた時に、生徒は必死に万引きはしてないと訴えた筈である。書かれた校歴を尊重し過ぎ、生徒本人の訴えを無視した事に起こる。この時に本人の訴えに少しでも耳を傾けていればと言う事が悔やまれる。ちょうど犯人が必死で無実を訴えてるのに無視した刑事に良く似てる。
 実は私も事情は異なるが、娘を自死で亡くしてるからこの生徒の両親の気持ちは良く解る。亡くなってしまえば、子供は二度と戻って来ない。一度こぼした水は元には決して戻らないのである。親にすれば本当に胸が張り裂ける思いなのである。これは子供を亡くした親でしか解らない気持である。
 前に戻ろう。学校の教職員も特殊な公務員の一員である。聖職とは言いながらレッキとした役人なのである。少なくても学校と言う組織の域の逸脱はしないのである。だから前例を踏襲し無理はしないのである。この際は無理して生徒が万引きはしてないと訴えた事に真摯に向き合い、確認してもらいたかった。例えそれが生徒の訴えに即してなくとも生徒は納得したであろう。残念である。最近の教師が聖職で無くなった良い事例とは本当に悲しい事と思える。