このXでの僅か1行の投稿が炎上した。
この投稿した映画評論家の町山智浩氏もそうだがそれを批判した人たちも本当に正直な日本人だと思った。
私的に言わせて頂けば、人間は常に自分の能力以上を望み、それを克服する事が人間として当たり前の習性だと思ってきた。それを揶揄したり批判するのは「他人(ひと)の好き好き笑うのはバカ」だと神代から言われて来たではないか? そう言う意味では、この小野田紀美さんそこを受けるしかなかったのか? 調べて見ればアメリカ人の父のハーフみたいだが1歳の時から岡山県で生活したとの事、まるっきりの日本人と言える人間である。2歳時に父は蒸発し養育費はなかったと言うから決して裕福で無かっただろうと思う。そう言う意味で言えば、金のかからない国立の傍の岡山大学で学ぶべきと思うが、そこまで学力が無かったら、やはり家庭的には遠いが国立の琉球大学や他の国立大学等あったろうと思う。私的には何で拓殖なのかと言う事がどうしても解からないのである。その他の意味もあったろうが今の受験生やその受験生の親と思う時そう思うのである。私も大学受験生時代、家庭を考えれば国立を選ぶべきだったが、何せ文系の国語や社会の科目がからっきし弱かったため、貧しかった親父に土下座して国語や社会の科目が無い私立の大学を、それも国立並みに安かった大学を選んだ経験があったものだ。そうやって自分の極限を試したものだった。私の時代には、その拓殖と国士舘は体育系のモサやヤーさんたちが行く大学と思っていた。今重ねて思う、何で拓殖だったのかと。何か拓殖との特別な関係があったとしか考えられない。