「長期独裁政治は腐敗する」を地で行った森友学園と加計学園問題 奢れる者久しからず

 思想家・武道家内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、哲学的視点からアプローチします。
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 学校法人森友学園の用地取得をめぐる事件は、場合によっては巨大なスケールの疑獄事件に展開する可能性がある。過去4年間にわたった安倍長期政権の下で、その体制の受益者たちがどのような「利権分配システム」を構築してきたのか、その全容が明らかになることを私はつよく望んでいる。この事件から私たちが学ぶべきことはとりあえず一つだけでいいと思う。それは「権力は必ず腐敗する」ということである。この真理に例外はない。そして、腐敗はある時点(ポイント・オブ・ノーリターン)を過ぎると加速度的に進行する。これにも例外はない。権力が長期的に安定的に維持されているという「事実そのもの」が腐敗を生み出すからである。
 
 権力が安定的に維持されていれば為政者の自己評価は高まる。高まって当然である。多くの政治家が望んで達成できなかった「一強」と称されるような長期安定政権を実現してみせたのである。野党の反対で擱座(かくざ)されてきた懸案の法案も次々通した。間違いなく高い自己評価に値するだけの達成である。となると自分を褒め称える人たちが「客観的に正しい」判断力を備えており、自分をあしざまに批判する人々は原因が個人的憎悪であれイデオロギー的敵視であれ、「濁った判断」を下しているということになる。そう推論することは決して間違っていない。だが、自己評価と外部評価が高いレベルで一致することに慣れたときから不可逆的な腐敗のプロセスが始まる。そうなると、もう親身な諫言であれ、先達の忠告であれ、彼の自己評価と食い違う言葉はどれも(嫉妬か競争心か)主観的なバイアスのかかったものに思えてくるからである。そう思うことをやめるためには例外的な自制心が要る。そして、わが首相の自制心に高い評点を与える人は彼の支持者のうちにも多くはいないだろう。
 
 劇的な成功を遂げた政治家たちは例外なくイエスマンを周りに集め、ついにはその中で最も臆面もなく阿諛(あゆ)追従するものを「具眼の士」とみなすようになる。そして、手厚い褒賞でその炯眼に報いようとする。そのプロセスは歯車仕掛けの悲劇のように進行する。私たちは今その終幕近くに立ち会っている。
 
これ『内田樹森友学園事件から学ぶべきたった一つのこと」』と題したAERA 313日号の記事である。
 
 
「史上に名を」これに躍起となってる安倍首相である。長期独裁政権を築いた今思うはそれのみで、周りは見えないらしい。米国の狂人トランプとの新しい構築、そして過去の政権が出来なかった「北方領土問題」の解決。いろいろあり過ぎて最終的に「二兎を追う者一兎も得ず」の諺通り安倍首相には無理であろう。余りにも運が良く順調に来過ぎたきらいがする。本人は自分には出来ない事は無いと思っての事だろう。それが正に平安時代の終わりの平家に重なる。頂きを得た者にはそこから下るしかないのである。それこそ「奢る平家久しからず」である。