安倍長期政権は何をした?

 2012年12月26日、第二次安倍政権が発足してから7年が経過した。第一次政権時代を合算すると憲政史上最長の内閣である。だが今年の後半になって、大学入試への英語民間試験や国語・数学の記述式問題の導入撤回、「桜を見る会」問題、秋元司衆議院議員逮捕など、政権の信頼性を揺るがす事態が続けざまに起こっている。

■ 問題山積、スキャンダル頻発でも政権交代の気配なし

 長期政権になっている理由は、第一に野党の非力さにある。安倍内閣には上記の問題もあるが、それ以前には、9月に発足した第四次改造内閣で、すぐに二人の大臣が不祥事で辞任しているのだ。
 しかし、政権が打撃を受けたようには思えない。「野党に政権を渡すよりもましだ」と思う有権者が多いからである。
 私は、第一次安倍政権で閣僚を務めたが、その当時とは全く雰囲気が違う。安倍首相が腹痛のため辞任した後に、福田、麻生と内閣が続いたが、厚生労働大臣として残留した私は、諸問題の処理に苦労したことをよく覚えている。
 参議院は野党が多数派を占める「ねじれ国会」であり、法案を通すのに、野党の要求する修正を受け入れたり、付帯決議を付けたりする妥協を余儀なくされた。国会は緊張に溢れており、能力の無い大臣では務まらない状況であった。政権交代の足音が聞こえてくる状況の下で、いつ野党になるか分からない政権の意向を忖度する役人などはいなかった。森友・加計問題や「桜を見る会」に関するような官僚の答弁はありえなかった。
 そして、2009年夏の総選挙で、民主党が大勝し、政権交代となった。しかし、この政権は、東日本大震災への対応をはじめ政権運営に失敗し、具体的な成果を十分に上げる暇もなく退陣してしまった。「新しい公共」の概念、行政ではなく市民が主役の参加型民主主義など、その理念が間違っていたわけではない。しかし、それを実行に移す能力に欠けていた、と言わざるをえない。

■ 石破、岸田のポスト安倍候補も権力掌握術では首相に遠く及ばず
 また、野党として政権奪還に燃やす情熱と権謀術数は、自民党には凄まじいものがある。1993年8月に発足した細川内閣を政権の座から引きずり下ろすために弄した手練手管がその典型であり、結局は、1994年6月に社会党首班の自・社・さきがけ政権を形成して政権復帰を果たしている。政策的には対極にある社会党の党首を首相にしてまで政権の座に戻ろうという執念である。
 2009年夏に野党に転落した自民党もまた、このときと同様な執念で政権復帰を狙った。徹底的な民主党政権攻撃を行い、日米同盟関係の悪化、震災対応の不手際などに焦点を当てた。しかも、野田内閣のときに、民主党マニフェストにはなかった消費税増税を、自民党公明党と組んで決めてしまった。こうして、わずか3年3カ月で民主党政権は幕を閉じたのである。
 その後、2012年12月に政権に返り咲いた自民党安倍政権の下で、2016年3月には民主党はなくなり、今日の野党分裂状態となっている。もはや、自民党に対抗して政権を担えるだけの巨大野党は存在せず、それが安倍政権の長期化を可能にしている。共産党まで含めた選挙協力は試みられているが、立憲民主党と国民民主党の合流すら進まないのが現状である。野生の肉食獣に例えれば、獲物を狩る意欲も能力も欠いた「生ける屍」が今の野党である。
 これが、安倍政権の傲慢、役人の非常識な忖度行政を許している。官僚機構は、ときの政権の指示通りに動くのが筋であるが、当時の民主党政権に熱心に協力したキャリア官僚は、安倍政権の下で徹底的に干され、能力に関係なく左遷されてしまった。そのような事態を眼前にして役人が安倍政権の腰巾着になるのは当然である。
 そして、記者などのマスコミ人についても、安倍政権は自分たちの応援団を優遇することにかけては度を超している。誰にも分かるような飴と鞭の使い分けが、一種の恐怖政治を生んでいるのである。
 安倍長期政権を可能にしている第二の要因は、自民党内にライバルがいないことである。石破茂岸田文雄など有力候補はいるものの、権力掌握術においては安倍晋三に遙かに劣っている。総理総裁候補は党の内も外もしっかりと固めねばならないが、そのためには移ろいやすい世間の人気に頼っていたのでは心許ない。とくに、国会議員をしっかりと束ねるための日常活動が必要である。
 小選挙区制度の下、首相官邸に権力が集中するようになった今、党高政低ではなく、政高党低が現状である。中選挙区制の下では、自民党政治家同士が票を争って切磋琢磨した。派閥政治の弊害もあったが、党は活力に溢れていた。多少の例外はあっても、党内競争の結果、自民党国会議員の質は向上していった。
 今は、国会議員は、カネとポストの配分を決める官邸の機嫌を損なわないようにする。長期政権になればなるほど、この傾向は強まる。忖度は役人の専売特許ではなく、国会議員もまた同様である。安倍首相との距離が人事を左右するとなれば、皆が安倍派になるのは当然である。

■ 石破派議員の冷遇ぶりを見ればわかる出世の法則
 党内少数派の石破派が人事で冷遇されているのを見れば、あえて「石破と心中しよう」という者はいなくなる。その逆が、「お友だち優先」であり、その弊害はつとに指摘されている。政府や党の人事でも、「お友達」であれば、かつてのような厳しい身体検査が行われなくなったような気がする。それが、菅原一秀経産大臣、河井克行法務大臣の辞任を招くことになった。
 それは党内活力の減退ということであり、それが安倍長期政権を許している第三の要因になっている。つまり、政策中心の政治ではなくなったことである。安倍首相の政策に反対すれば、出世は覚束ないことになる。石破派所属議員の冷遇状態を見れば、どうすればよいかは一目瞭然である。
 秋元司衆議院議員がIR関連の収賄で逮捕されたが、カジノについては党内で賛否両論がもっと戦わされてよい。しかし、カジノ議連の最高顧問は安倍首相である。安倍首相は、2014年5月にシンガポールのIRを視察して、「IRが日本の成長戦略の目玉となる」とコメントしている。このような状況下で、カジノに反対する議論を自民党内で展開することは不可能に近い。2016年12月にはカジノ法IR推進法)が、2018年7月にはIR整備法が成立している。
 中選挙区制の下では、活発な政策論争を展開することが自民党の活力の源であったが、小選挙区制の今は、官邸の政策に反対することは極めて難しくなっている。
 アメリカのトランプ大統領でさえ、与党の共和党内に反対派がいる。シリアから米軍を撤退させたときなど、共和党内で反対の大合唱であった。イギリスのEU離脱を巡っては、メイ前首相も、ジョンソン現首相も党内に異論を抱えている。フランスでは、年金制度改革案について12月5日からゼネストが続いており、マクロン大統領は、与党内の結束に苦慮している。
 そのような苦労と全く無縁なのが安倍首相である。議院内閣制下の日本の首相は、今のような運用をすれば、大統領制下の大統領よりも遙かに強い存在となる。しかし、そのツケは政治の劣化につながる。
 外交政策一つをとってみても、日韓関係は最悪であり、拉致問題も全く進展せず、北方領土問題解決の糸口も見いだせていない。日韓、日朝、日露関係も、様々なアプローチがありうる。複数の政策選択肢を持ち合わせていることが、政権党としての自民党の強みであったが、今や専制政党的な一枚岩政党になってしまっている。これは、自民党のみならず、日本の政治の危機でもある。
(舛添 要一:国際政治学者)


これ「安倍長期政権、強い首相がもたらした日本政治の危機」と題したJB press舛添要一さんの12/28(土) 6:00の配信記事である。


未曾有の長期政権を築いた安倍晋三内閣は、形の上では小泉純一郎政権の禅譲に近い政権だが、具体的成果をなんら上げる事が出来なかった政権と言え、何のために政権をとったのかいまいち理解できない。具体的政策が「郵政民営化」しかなかったあの小泉純一郎政権でも、北朝鮮拉致被害者を数人帰国させた実績があったが、安倍晋三首相はこんなにも長く政権を取っていながら、その小泉純一郎元首相の女房役に近い所に居ながら「拉致被害者」問題の進展もなく、尚且つ懸案の北方領土問題も掛け声だけで終わりそうで、それも何の進展もなくかえって小泉純一郎元首相より遠のいた気配さえするのが現状だ。これは単に国の状況打破より政権維持に傾斜した結果ではないのかと考えている。それは後継者育成に力を入れず、逆に反安倍者を抹殺し、外交の安倍を演出しながら、その効果より日本札「福沢諭吉」のバラマキに勤しみ日本国の財政健全化に逆行させたに等しいからである。最近になって共産党赤旗のスクープにより「桜を見る会」問題が浮上し、来年の通常国会さえ乗り切りが怪しくなって来た現在、以前の「モリカケ」問題に酷似し、またもや「逃げ」て下手すれば内閣総辞職のリスクの回避に国会開会冒頭解散を選択したなら、政治史上最低の内閣の烙印のそしりは免れないだろう。