安倍首相が辞任を決意したが、良し悪し別に素直にご苦労様でしたと言いたいが・・・・・・

8月28日安倍首相が突然辞任を発表した。前回第1次安倍政権時の投げ出し辞任が頭をよぎった。

 第1次政権時の辞任は、あれも病気を理由にした辞任だったが真の理由は、当時の民主党党首小沢一郎さんとの党首討論の回避だった筈だ。

 今考えて見れば安倍晋三さんと言う人間は、本当に運の良い人だったと思う。変人小泉純一郎首相より政権を禅譲に近い形で推され、それを麻生、甘利、菅の各氏3人組が必死にまとめた結果だったと考えられる。

「安倍1強」は安倍首相の過度の身内優遇策がもたらした結果だと言えなくも無い。自身に反する議員を遠ざけ政権を私的に利用した悪質性は、史上稀なる程度の低さである。これは日本人と言う国民性が一番嫌う問題を悔いた安倍首相の決断でしか無い。

 

 平成21年(2009年)9月の政権交代時前にはマニフェスト政権公約)や政治主導という言葉が流行語になり、予算の無駄を洗い出す事業仕分けが脚光を浴びた事はまるで昨日の事のようだが、その教訓を忘れたかのような自民党の党としての新陳代謝はもうすでに止まってしまっており、独裁政党のモデルみたいな「安倍一強」が生まれた。総選挙でも国民の半分以上が棄権し、有権者の1/4程度の得票で議席過半数を確保するという低投票率依存で政権を維持してきたに過ぎない。この安倍政権8年は、対米従属依存の中で米国の指令に従ってさえいれば権力の座が保障されるという戦後政治の有り様を見るようだった。まさに戦後75年経ってみて、そうした戦後レジュームのガバナンスの形が劣化したことを表している。在任中の不祥事はモリカケ・桜問題に止まらず、公文書の改ざんや隠蔽、お友達企業への横流し、閣僚による汚職・買収案件など数え上げればキリがない。これらのどれを見ても品位のかけらもない政権の手法とも見えた。「議会制民主主義」「三権分立」といった概念がまだ生きていた一昔前ならとっくに疑獄事件として処理された筈の事件が、官僚、検察、裁判所、メディアに至るまでしっかりコントロールされ、腐敗に目をつむる形で「一強体制」が維持されて来た。 思うに一国のトップの健康不安など公にしないのが危機管理上の常識だが、あえてそれを振りまいてきたのは「矢面に立ちたくない」「もう辞めたい」という心境を如実にあらわしていたのではと思う。その後のメディアによる「病気で可哀想な首相」と表した日本的なものがある。実態としては「コロナ禍の敵前逃亡」であり、ただの放り投げなのに、そのことを誰も指摘しない。去り行く者への憐れみなのか。思えば小泉元首相がぶっ壊した残骸の片付けを全部できずに安倍首相は放り投げ、その後始末に次期首相が誰になるかの瀬戸際にある。今正に政治は崖っぷちに立っている状況といって良い。今その後始末をやろうとする政治家は大変な仕事と言え、それこそ命を懸ける気持ちで受けるしかないだろう。今そこに身を投じようとする政治家は期待より可哀そうと私的には思う。それから考えれば今やろうとする政治家は本当にやってみたい政治家やりたい政治家としか思えないだろう。