最近の「桜を見る会問題」での政府のちぐはぐさはもしかしたら官僚の無言の抵抗か?

■政治アナリスト・伊藤 惇夫
 臨時国会閉会で、季節外れの「桜まつり」も、モリカケ同様、いつの間にか「風化」していくのだろうか。
 ただ、今回の「桜を見る会」問題で見せた安倍政権の対応は、従来とかなり様相が違う。

 ◆あちこちでほころび
 これまで、安倍政権が疑惑、スキャンダルの発覚を受けて見せた対応は、まさに「鉄壁」ともいえる防御態勢だったが、今回は、あちらこちらで、ほころびを露呈している
 自身の関与や招待枠の問題などで、安倍総理や菅官房長官は当初、全面否定したにもかかわらず、新たな事実、物証などによって、たびたび発言の修正を迫られた。
 象徴的だったのは、完璧な対応を見せていた菅官房長官が、会見で立ち往生する場面を見せたこと。
 昭恵枠、シュレッダー、反社、ジャパンライフ・・・・。次々と新たな「火種」が飛び出したことが、疑惑を拡大させ、守備体制を混乱させた面もあるが、果たしてそれだけだろうか。

 ◆一体対応ができない
 これまで「鉄壁の防御網」が構築できていたのは、官邸と霞が関が一体となった対応を示したからだ。だが、今回はそれが崩れた。
 例えば、11月20日の内閣委員会で、野党から昭恵夫人の招待枠について質問があり、菅官房長官が「ありません」と明言した直後に、内閣府の審議官が「推薦はあった」と発言したこと。
 確かに「枠」はなかったかもしれないが、菅氏の発言を否定するような印象を与えたことは間違いない。緊密な連携が取れていれば、官僚側はとりあえず逃げの答弁をしたはずだ。
 名簿をシュレッダーにかけた時期についても、なぜ、内閣府は正直に(?)共産党から資料要求があった5月9日と答えたのか。
 なぜ、ジャパンライフへの対応に疑念を抱かせるような消費者庁の内部文書が流失したのか…。

 ◆政権の体力が低下すると
 これらから見えてくるのは、官邸と霞が関との意思疎通の欠如、タガのゆるみ、あるいは両者の間に吹き始めた「隙間風」ではないか。
 過去の例が物語るように、政権の体力が落ち始めると、あちらこちらで摩擦が起きる。確かに「桜」問題は「規模」の面では、それほど大きいとはいえない。
 だが、モリカケと違って、一般から見ると、極めて分かりやすい疑惑だ。「私物化」「ズル」を連想させるからである。
 実はこうした問題の方が、政権にとってボディブローのように効いてくることが少なくない。自民党内が静まり返っているのも、なぜか不気味な感じがする。
 (時事通信社「コメントライナー」2019年12月11日号より)
 【筆者紹介】
 伊藤 惇夫(いとう・あつお) 1948年生まれ。自民党本部の広報担当、新進党総務局企画室長、民主党結成・事務局長などを経て2001年より政治アナリスト。政界の裏事情に通じ、明快な語り口に人気が高い。テレビ・ラジオ出演のほか、「国家漂流」「政治の数字」「情報を見抜く思考法」「政党崩壊」など著書多数。


これ『「桜を見る会」から見える安倍政権のきしみ【コメントライナー】』と題した時事dot.com 2020年2月16日(日)の記事である。


2年前からの「モリカケ」問題から現在の「桜を見る会」問題まで、安倍首相に振り回され続けて来た霞が関機構の官僚たちは、報道でしか知り得ない我々国民と違い、真近かで接し得る官僚たちには、アホらしくてまともに回答出来ない現状を憂い、「どうにでもなれっ!」意識の表れではと私的には思える。
私も独自の永田町・霞が関のアンテナから聞こえて来るのは、現安倍政権の史上最悪の政権と言う評価である。政権者の公の私物化問題は人間の下ネタ問題以下にも匹敵する至極恥かしい問題で、黄昏に近づいた長期政権者安倍晋三首相のレガシーは既に遠のいたと言っても過言ではないだろう。これが長期の権力は腐敗するを地で行った史上最初の例えとなるはある意味のレガシーか(大笑い)