被災地陸前高田市のレプリカの1本松に不可解さを禁じえない

 東日本大震災津波で大きな被害を受けた岩手県陸前高田市で、7万本の松のうち流されず一本だけ残った「奇跡の一本松」の保存作業が終わり、完成式典が3日午前、行われた。
 式典では、出席者が震災犠牲者に黙とうをささげた後、戸羽太市長が「一本松は深い悲しみに打ちひしがれた私たちの希望となった。復興を見守る存在として愛され続けてほしい」とあいさつ。市内の米崎保育園の園児が歌を披露し、くす玉が割られた。
 自宅が津波で流され市内の仮設住宅で暮らす菅野房子さん(75)は「一本松を見ると陸前高田の昔の姿を思い出す」としんみり。盛岡市の会社員女性(33)は「震災を忘れさせない存在が残って良かった」と話した。
 一本松は震災後、希望の象徴として親しまれたが、海水で根が腐り、昨年5月に枯死。震災のモニュメントとして保存するため、同9月に根元から伐採された。幹は防腐処理が施され、カーボン製の心棒を通した。枝と葉は保存困難なため、レプリカを作製した。
 今年2月から現地で設置作業を開始。震災2年の3月11日までに終わる予定だったが、レプリカの枝葉部分に施工ミスが判明。工事を一部やり直し、高さ27メートルの一本松がようやく「復活」した。
 一本松の下には献花台が設置され、今後1年間は日没から夜9時までライトアップされる。(2013/07/03-11:31)
 

これ「奇跡の一本松「復活」=陸前高田で完成式典-岩手」と題した時事通信の報道だ。
 

 被災地の思い入れのあるこの1本松に私は、チャチを入れるつもりはサラサラ無いがどうしてもレプリカ=模造品と言うのが引っかかっている。こう思うのは私だけなのだろうか。
 この事に喜んでいる被災者の方々を前にして申し訳ないとは思うが、中には折角の真心に水を注すから言えないと言うような方、居ないのであろうか。私は最初、昨年にこの報道を聞いた時、即そう感じた。私だったら、例え小さくても、この何分の一であっても本物の松を活けてほしかった。そして小さければ、その成長を重ね合わせて見守って行くと言うような事考えなかったのだろうか。確かにこう言う事は全ての人々に受け入れられる事は難しいという事も解かるし、とれを取りまとめる役所の方々の苦労も良く解かるつもりだが、何故1億円以上も掛けて等身大のレプリカなのか、私にはどうしても理解出来ないのである。難儀を掛けた役所の方々には、本当に申し訳ないと思うが、途方も無い多忙と、決める苦しさの中での、拙速に見えてしようが無いのである。義援金等が配分もされなかった時期に、1億円以上のレプリカを急いだ意味がどうしても私には解からなかったのである。