東日本大震災:復興10事業打ち切りの報にやはり政権者には喉元過ぎればか?

 復興庁が12日発表した東日本大震災の復興事業に関する政府方針には、2015年度限りで終了する10事業が列記された。いずれも、事業目的を達成したり、必要性や緊急性がなくなったりした事業と位置づけているが、被災地からは「実情を理解していない」との声も上がった。被災地の「自立」を促す国との温度差が浮き彫りになった。
  15年度で終了となる事業に、東京電力福島第1原発事故に伴う「県外自主避難者等への情報支援事業」がある。今年度の事業費は約1億円。全国8都道府県のNPOなどに委託して交流会を開いたり、県外避難者の生活相談を受け付けたりしている。支援情報をまとめたニュースレターも発行している。
 福島県避難者支援課によると、県外避難者は現在約4万6000人。この事業は自主避難者だけでなく、避難区域から県外に逃れた人も利用してきた。県の担当者は「国が全額負担する『原発由来』の事業なのに、打ち切られる理由が分からない」と憤る。福島県南相馬市から栃木県下野(しもつけ)市に避難している男性(78)は「『5年で終わり』と見捨てられていく感じがする」と話し、南相馬市から新潟県三条市に避難する佐竹紀(おさむ)さん(75)は「支援事業の終了に伴い、避難先の自治体に負担が生じると心苦しい」と語った。
 福島県では、再生可能エネルギーの開発を後押しする「再生可能エネルギー次世代技術研究開発事業」も終了される。県の担当者は「福島の復興の核となる事業であり、支援を続けてほしい」と訴えた。
 15年度で終了する事業に「緊急雇用創出事業」があり、これを使って仮設住宅の見回り事業を行っている自治体もある。岩手県では少なくとも釜石市陸前高田市、山田町の仮設住宅で、同事業による見回りを実施し、約60人を雇用している。
 被災地の仮設住宅では、高齢者の話し相手になったり、認知症で徘徊(はいかい)していた人を部屋に戻したりするなどの支援が行われてきた。同事業が終了すれば影響が大きく、県担当者は「被災地の雇用支援はこれからも必要だ」と訴える。【小林洋子、横田香奈、近藤綾加、堀祐馬、藤田祐子】
■道路整備など負担増 地元困惑「工期遅れる」
 廃止はされないものの、新たに自治体負担が生じる事業もあり、困惑の声も出ている。
 津波で1040人が犠牲になった岩手県釜石市。市中心部を流れる甲子(かっし)川の河口では、高さ6・1メートル、幅120メートルの水門整備工事が進む。県が2019年の完成を目指し昨年11月に着工。川を逆流する津波被害を防ぐ目的があり、総工費約60億円は全額国費の「社会資本整備総合交付金」を充てる予定だった。
 しかし、この交付金事業は16年度以降、一部で自治体負担が生じる。同県によると、交付金約900億円をかけて、水門整備など31事業を予定していたが、18事業で地元負担が生じる恐れがある。負担割合が数%でも億単位になる可能性があり、県幹部は「復興が遅れるのは明らかだ」と憤る。釜石市の担当者も「工期に遅れが出るようなことがあれば納得できない」と批判する。
 復興庁によると、「復興道路」「復興支援道路」として全額国費で賄っていた「道路整備事業」も、地元負担を求めることになる。宮城、岩手、青森県の沿岸部に整備が進む三陸沿岸道路(三陸縦貫道、三陸北縦貫道路、八戸・久慈自動車道)は震災後、全額国費が充てられてきたが、16年度以降は自治体負担が生じる見通し。宮城県村井嘉浩知事は「三陸縦貫道はまさに命の道路。できるだけ地元負担がない形で事業を進めていただきたい」。同県気仙沼市の菅原茂市長も「ブレーキがかかってはいけない」と訴えた。【春増翔太、浅野孝仁、川口裕之、井田純】
■政府方針と要望、2兆円差
 政府は復興予算を2016年度から5年間で6兆円程度と見込む。これに対し、岩手、宮城、福島など被災県は約8兆円を要望しており、開きは大きい。
 政府は、12日発表した復興事業に関する基本方針を踏まえ、6月末にも地方の負担割合や財源など復興予算の枠組みを決定する。地元の負担割合を数%程度にとどめる方針だが、それでも地元負担は数百億円になる見通しだ。【松本晃】

これ『東日本大震災:復興10事業打ち切り 被災地「実情分かってない」』と題した毎日新聞 2015年05月13日 東京朝刊である。

 何度でも言うが、この震災は天災である。被災地には何の責任も無いのはもちろんである。神代の昔より、火出る国(ひいずるくに)であるわが国は無尽互助の精神の国である。それが社会保障形態の祖であった筈である。それが健康保険であり、ねんきんである。今その形態にかの自由の国の米国までもが興味を示すだけでなく、それを実行しようとしている矢先でもある。多少の苦しさはそれに免じて耐えるのがわが国の良さではないのか。安倍政権に再度言いたい、被災地の叫びに耳を傾けてと。