この人が何故総裁レースに何時も取りだたされるのか不思議に思っている。それは何故そう思うのか? それは彼の報道での会話や考えの説明を聞くと、彼の会話にはいつも何故?への考えや説明がなく、あるのは必ずや、自分の考えを言わずにその時の関係する会合の構成やその構成員の詳細を紹介して終わる事が殆どだからである。この方何のために閣僚になったのか殆ど解からないのである。悪く言えば国会議員や政治家としての資質が欠落してるのではと思わざるを得ないからである。これはパフォーマンスを優先して「良いフリを見せたいだけ」としか見えず、彼本来の政治家としての主張が見えないからである。良く視れば過去の「バカの一つ覚えの郵政民営化」を叫んだ親父の小泉純一郎元首相に酷似したDNAを連想させられるからだ。これらを見て私はいつも思う。何故霞が関官僚が民間人より劣るのかと言う事をである。だってあの郵政民営化を叫んだ小泉純一郎元首相の演説を聴けば良く解かる。
その最高であった筈の郵政民営化、今思えば失敗だらけと言うしかないと私は思っている。当時の三公社五現業の一環だった郵政省が、民間になってサービスが良くなったかと言えば、確かに社会情勢の変化とは言え、少なくとも公社時代の方がサービスが良かったと言って良いのに、何故それをした責任者が糾弾されないのか不思議である。だがそのDNAを引き継いだ小泉進次郎に対しては私はNOを突き突き着けたい気持がずーっと取れないのである。