7月21日に投開票を控える第25回参院選。自民・公明の与党が改憲勢力で3分の2を維持できるかどうかが焦点の1つだ。その与党・自民党の9人の有力政治家・首相候補の言葉、著作の分析を積み重ねた『自民党 価値とリスクのマトリクス』から、小泉進次郎氏の章を丸ごとお届けする。
■横須賀育ち、体育会系の気質
自民党の若手でありながら、時に安倍政権に対して大胆な批判的見解を述べ、地方遊説では圧倒的な人気を集めています。一方、これほど注目されるホープでありながら、どのような考え方の政治家なのかは、国民にあまりよく知られていません。
各地での演説でもキャッチーなワンフレーズばかりが取り上げられるため、いかなるビジョンを持った人物なのか、判然としないのではないでしょうか。
それもそのはず。小泉さんは、自らの考えをまとめた書籍を1冊も出版していません。
ノンフィクションライターが彼の言葉を集めたものや、自民党の福田達夫代議士との対談(田崎史郎『小泉進次郎と福田達夫』2017年、文春新書)は出版されていますが、自ら書いた本はありません。自分の考えをまとめた論文やレポートなども皆無に等しいため、なかなか全体像がつかみづらいという特徴があります。
小泉さんは1981年、横須賀生まれ。兄・小泉孝太郎(俳優・タレント)の3歳下の二男です。生まれて間もなく両親が離婚したため、純一郎元首相の実姉・道子さんに育てられました。小泉さんが生まれたとき、父はすでに政治家(9年目)で、横須賀を地盤としていました。小泉さんは、身近にアメリカ軍基地が存在する環境で育ち、政治家になってからもアメリカ軍へのシンパシーを語っています。
小学校入学から大学卒業まで関東学院に通い、中学・高校では野球部に所属しました。ここで彼は「徹底した上下関係」を経験します。先輩が言ったことは、間違っていても「はい」と言わなければならず、頼まれたことは断らない。このとき身に付いた行動原理が、政治家になってから生かされていると言います。
「たとえ、それが理不尽な要求であろうと、あの上下関係のなかで耐え抜いてきたというか、あの上下関係を学んできたということは、私は政治の世界にまだ半年ちょっとですけれども、体育会系で生きていなかったら、いろんな悩み、また理不尽な感じに対して、もっとストレスを感じていることが多かっただろうと思うんです。」
あとで見るように、このマッチョな根性主義が彼の基本姿勢であり、政治ビジョンや人間観にも反映されます。
小泉さんという政治家を分析する際、非常に重要なのは大学卒業後に経験した約3年間のアメリカ留学です。彼はコロンビア大学大学院に進学し、日本政治を専門とするジェラルド・カーチス教授の下で学びました。この時代に一定の英語力を身に付け、自らの考えを人前で話す技術も習得します。そして、非常に重要なのが、留学3年目に所属したCSIS(戦略国際問題研究所)での経験です。
この機関はワシントンDCにあるアメリカ陸海軍直系のシンクタンクで、日本外交に多大な影響力を持ってきたリチャード・アーミテージなどが理事を務めてきました。小泉さんが所属していたときの日本部長はマイケル・グリーン。ブッシュ政権のNSC(国家安全保障会議)上級アジア部長です。
小泉さんは、ここでジャパンハンドラーズの代表的人物とつながり、影響を受けます。彼らは日本の有力政治家と接触し、自らの利益にかなう方向へと誘導することで知られます。小泉さんの外交・安全保障観は、親米を軸に構想されています。
後で述べるように、父と同様、アメリカの意向に沿うような構造改革・規制緩和路線を基調としています。この姿勢はCSISでの経験を抜きに考えることはできないでしょう。帰国後、小泉さんは父の秘書を務め、選挙基盤を受け継ぐ形で、2009年衆議院選挙に出馬します。
■民主党政権に対抗し「自助」を強調
この選挙は、自民党にとって大変な逆風でした。小泉内閣の後、安倍内閣・福田内閣が短命に終わり、世の中ではリーマンショックによる貧困・格差が大問題になっていました。自民党のとってきた新自由主義路線が、厳しい批判にさらされます。
選挙中には足を踏まれたり、ペットボトルを投げられたりしたといいます。時には名刺を目の前で破られ、演説中に「うるさい!」「世襲反対」と野次られました。小泉さんの耳には、さまざまな罵詈雑言が耳に入り、「いちいちへこ」んだといいます(前掲『WiLL』2012年9月号)。
政治家・小泉進次郎が、与党・民主党を批判するという構図で幕を開けたことには、重要な意味があります。彼はセーフティーネット強化(=「公助」)や新しい公共・社会的包摂(=「共助」)を強調する民主党への対抗から、「自助」を優先すべきことを強調しました。
まずは自らが自らを助けるという「自助」が基本の国づくりをして、それでもダメだったら、民間と一緒になって「共助」というものを築いて、それでもまだ足りないところを「公助」で国がしっかり面倒を見るというものです(小泉進次郎、田崎史郎「小泉進次郎 初ロングインタビュー『自民党はまだ野党のままでいい』」『文藝春秋』2010年12月号)。
「民主党の国づくり。『皆さん、何をしてほしいですか? あれもやりますよ。これもやりますよ。何をしてほしいか言ってください。お金はあとから見つけます』――こういう政治。
じゃあ、自民党はどういう国づくりをしたいのか。あれもやりたい。これもやりたい。でもそれをやるためには、皆さんの努力が必要なんです」
さらに彼は「ほどほどの努力ではほどほどの幸せもつかめない」と言います。もはや日本は、多少の努力では、発展できない。「一生懸命頑張って、何とか成長できる」状態になっている。とにかく死に物狂いでがむしゃらに頑張らなければならない。そう主張します(前掲『文藝春秋』2010年12月号)。
彼の矛先は、同世代に向けられます。最近の若者は草食系と言われ、内向き志向だとされます。自動車もとくに欲しくない。海外でバリバリ働きたいわけでもない。国内でそこそこの仕事をして、安定した生活を楽しみたい。そう望んでいる若者が多いとされますが、小泉さんは、そんなことでは幸せなどつかめないと力説します。
もっと頑張らなければならない。命がけで仕事などに取り組まなければならない。
ここに現れる基本姿勢に、体育会系の部活経験やアメリカへの単身留学体験が反映されていると言えるでしょう。自らの努力と成功体験への自負心が、民主党批判と相まって、「自助」を強調する政治ビジョンにつながっている。これが、彼のベーシックな特徴です。
■原発へのあいまいな態度、父は「郵政」息子は「農協」
さらに2011年10月には、若手の登竜門である党青年局長に抜擢され、局内に「チーム・イレブン」を立ち上げました。彼は足しげく被災地に通い、復興支援に力を入れます。
自民党が政権に復帰し、安倍内閣がスタートすると、2013年9月に青年局長を退任し、内閣府大臣政務官(経済再生、経済財政、環太平洋経済連携協定〈TPP〉等担当)兼復興大臣政務官に就任。自民党の震災復興に対する姿勢をアピールする役割を担いました。
問題は原発政策です。小泉さんの基本姿勢は、原発推進ではありません。むしろ将来的に原発をやめていくという方向性を打ち出しています。しかし、いつまでにどのようなプロセスで脱原発社会を実現するのかという具体策については、示されていません。この点は、脱原発を鮮明に打ち出している父より、かなり慎重であいまいです。
小泉さんは2015年10月に党の農林部会長に就任します。これは若手の彼にとっては大役であり、かつ極めて困難なポストでした。この頃の自民党は、TPP問題で各地の農家から反対姿勢を明確にするよう、突き上げられていました。しかし、アメリカとの関係を重視する安倍政権は、TPPを推進。自民党内でねじれが生じていました。
小泉さんは、一貫してTPPを推進してきました。2011年11月、当時の谷垣禎一・自民党総裁が、TPPについて「アメリカと組みすぎて中国やアジアをオミット(排除)するのはよくない」と発言すると、小泉さんは「耳を疑う」と切り返し、露骨に反対を表明しました。ここにはアメリカのジャパンハンドラーズからの影響があるのかもしれません。
そんな彼が、TPPに抵抗する農業者対策の部会長に就任したことで、世間から大きな注目が集まりました。小泉さんは、TPPによって日本の農家が被害を受けるのではなく、むしろ農産物を海外に売るチャンスが増えると捉え、TPPに負けない国際競争力をつけた農業を目指すべきと訴えました。
1993年のウルグアイ・ラウンド(自由貿易の拡大、多角的貿易の促進を目指して行われた通商交渉)への対策は、農家へのばらまきでした。しかし、今回はその逆をやらなければいけないと言います。補助金によって農業を過剰に守るのではなく、競争原理を働かせることで強い農家を作ることがポイントだと主張しました(小泉進次郎、金山隆一「独占インタビュー 小泉進次郎 自民党農林部会長 農林中金はいらない 農業の“護送船団”を改革する」『エコノミスト』2016年2月2日号)。
■農協の改革にメス
ここから小泉さんの農業に対する構造改革へのチャレンジが始まります。
父の小泉純一郎元首相は、郵政民営化に徹底的にこだわりましたが、小泉さんは「農協」の改革にメスを入れることになります。この両者はパラレルな関係にあると言っていいでしょう。小泉さんが一貫して目指したのは、持続可能で「儲かる農業」です。農業を補助金によって守るのではなく、むしろ成長産業にすることでグローバル化時代に対応しようと考えました。
ここで小泉さんは、農家に対して「農業経営者」という視点を持ってほしいと訴えます。日本においては「アグリカルチャー」と「アグリビジネス」は一体化しておらず、経営的視点が欠如しています。つねにアグリカルチャーが強く、アグリビジネスはおまけという位置づけで、民間資本が農業分野へ参入することを警戒し続けてきました。
しかし、小泉さんは「カルチャーとビジネスは敵味方ではない」と言い、両者が一体化した発展の道を模索すべきだと強調します。そして、企業の農業への参入を積極的に推奨し、その環境づくりこそ国の仕事だと論じました(「本誌独占インタビュー! 小泉進次郎が挑む 「農政改革」三つの公約」『週刊ダイヤモンド』2016年2月6日号)。
彼は、「すべての農家を守ろうとして、すべての農家を守れなかった」という加藤紘一さんの言葉をたびたび引用し、農家への横並び政策を批判します。
日本の農業では、誰か1人だけ飛び抜けることは許されず、競争よりも協同が重視されます。その結果、農家は消費者のほうを向かず、ニーズに応えることができていない。
重要なのは、生産者起点の農政から消費者起点の農政へと転換を図ること。そうすることで、高品質の食品をつくり、世界と勝負する。世界市場で稼げる体制を築き、ブランド力をつけていく。
このような「攻めの農業」を確立することで、地方に稼げる仕事をつくることが可能となり、人口減少に歯止めをかけることになる。農業法人の経営を後押しし、従業員として就職する人を増やす。これこそが真の地方創生政策であると、小泉さんは主張します。
■改革の3つのポイント
しかし、このような「儲かる農業」を阻害する存在があると言います。小泉さんがターゲットとしたのが農協でした。
彼は3つの点を改革ポイントとして挙げ、農協への厳しい姿勢を明示します。
まず第1点目が「農業機械・肥料・農薬・段ボールなどの生産資材が高い」という点です。
地方によっては、農業機械などを農協から買うよりもホームセンターで購入するほうが安く、農協を介することで、結果的に生産コストが上がってしまいます。そのため、農協の寡占状態を解体し、価格競争という市場原理を導入することで生産資材価格を引き下げる必要がある。これが小泉さんの主張です。
にもかかわらず農業融資に回っているのは0.1%で、日本の農業振興に寄与していない。「ならば農林中金なんて要りません」「農業金融を見直して、本当に必要としている農家に資金が届くように整備したい」(前掲『週刊ダイヤモンド』2016年2月6日号)。
この農林中金解体論は、小泉純一郎元首相の郵政民営化政策と重なる点が多くあります。背後にあるのは、どちらもアメリカの存在です。債務国に転落したアメリカは、海外に貯蓄された富を狙い、アメリカに還流させる政策をとってきました。そこでターゲットとされたのが「ゆうちょマネー」であり、「農協マネー」です。
この「農林中金解体論」は、さすがに強引で、無理筋だったのか、小泉さんの認識不足が次々に指摘されると、一気にトーンダウンしていきます。
3点目は、流通・加工の構造改革です。小泉さんが強調したのは、市場価格の乱高下に振り回されないよう「定価販売」できる商品をつくることでした。農家は農作物の生産だけでなく、食品加工や流通販売も行うことで、経営体力を強化することができます。ここにも農家に対して経営者になるよう促す姿勢が反映されています。
JA全農は「自己改革案」を提示し、資材調達に競争入札などを取り入れるスキームの構築や直販を拡大するスキームを提示しますが、これは改革ポーズをとっているだけのアリバイづくりと言われ、小泉さんの改革案を骨抜きにするものでした。
結果、小泉さんは具体的な成果をほとんど上げることができず、2017年8月に部会長を退任します。農業ジャーナリストの土門剛さんは「『ヘマ』の連続」と酷評し、農協を悪者に仕立て上げたことで、改革が頓挫した点を厳しく批判しています(土門剛「農林部会長としては未熟 小泉進次郎『対全農戦争』で敗れた真相」『THEMIS』2017年2月号)。
小泉さんの農業の構造改革は、最終的に党内をまとめることができず、大きな挫折を味わうことになりました。
■「アベノミクスは時間稼ぎにすぎない」
彼は2014年の時点で「アベノミクスは時間稼ぎにすぎません」と明言し、2020年の東京オリンピック・パラリンピック後に、さまざまな問題が日本に襲いかかってくると述べています。ポイントは人口減少と社会保障の問題。このままでは、財政が行き詰まり、福祉政策が立ちゆかなくなってしまうと危機感を表明しています(瀧本哲史、小泉進次郎「東大生を前に瀧本哲史と語った日本の最優先課題 白熱90分! 小泉進次郎」『プレジデント』2014年6月16日号)。
このとき、安倍政権が補正予算を組み、低所得の高齢者向けに3万円の給付金を配ることを決めました。財務省は子育て支援についてこれまで「財源がない」と言い続けてきたにもかかわらず、高齢者には3620億円もの高額の予算があっさり計上されました。野党は「選挙対策のばらまき」と反発しますが、小泉さんもこれに同調し、「次世代に向けた社会保障」になっていないと安倍内閣を批判しました。
当時の政調会長は稲田朋美さん。彼女は小泉さんに対して、補正予算を実施する代わりに、党内で次世代の社会保障のあり方を検討する場を設けることを提案し、「2020年以降の経済財政構想小委員会」が立ち上がります。小泉さんは事務局長に就任し、社会保障問題に取り組むことになりました。
小泉さんは、社会保障をめぐる財政の厳しさを強調します。年金や医療の保険料を負担する現役世代が減少する一方、高齢者が増加することで支払額が膨張。近年は団塊の世代が65歳を超え、医療費の拡大ベースが上昇しており、財政は厳しくなるばかりです。
この現象は、若年層ほど支払い損となり、世代間格差が拡大することにつながります。若者は割を食い、現役世代が搾取される形になります。そうなると、当然、若年層の未払いが増加し、将来の年金の支払いのために貯めた積立金の取り崩しが避けられない状況に陥ります。
「あまりにも高齢者を優遇しすぎている」ため、「若い世代が受益者になっていない。子育て支援などにお金が回らず、少子化がますます進んでしまう。これではいけない」(小泉進次郎、小林史明、村井英樹「小泉進次郎氏ら自民党・若手議員が激論 高齢者優遇の是正へ、社会の『原則』を変える」『日経ビジネス』2017年5月1日号)。
小泉さんは、「15歳から64歳までを現役世代と見なすのをやめる」ことを提案します。
65歳以上としていた高齢者の定義を改め、現役世代の上限を引き上げることで、収入のある年配層に負担してもらう。そんな訴えを行いました。
■「人生100年時代の社会保障へ」
第2は「人生100年型年金」。年金支給開始年齢を柔軟に選択できるようにし、働いている間は保険料を納入する。70歳を超えて働ける人は、支給を遅らせることが可能となるとしています。
第3は「健康ゴールド免許」の導入。健康管理・維持に努めた人の保険料負担を軽減することで、医療費を削減しようとするものです。
これに加えて、2017年3月には「こども保険」の導入が提案されました。企業と勤労者から集める社会保険料を0.1~0.5%上乗せし、これを財源として現行の児童手当に月額5000~2万5000円増額して支給するというものです。
ここで小泉さんは「自助」の限界にぶつかります。
「共働き世帯が増え、地域社会の絆が希薄になるなかで、子育てを親と家族の自助だけに委ねるのはもはや限界です」。結局、自助にも共助に頼ることが難しい。親・家族・コミュニティだけでは、子育てを担うことができない。だったら「社会全体で温かく子育てを支えていかなければならない」。「公助」によって、子育て支援をしなければならない。そう主張します(田村憲久、木原誠二、小泉進次郎「『こども保険』が必要だ:教育国債はありえない、消費税では遅すぎる」『文藝春秋』2017年7月号)。
「子育て支援について税金を財源にしたいが、税金では世間の反発があるので、保険料に名前を変えて国民から徴収することがバレバレになってしまう。保険の名称にしたのは、日本人の保険好きを悪用したのだろう」。「財務省としては『教育国債』を『こども保険』で相打ちにして、自民党を『増税』に持っていきたいのだろう」(高橋洋一「財務省が小泉進次郎を使い『偽装増税』を仕掛けた 自民党若手議員の『こども保険』提言には巧妙なトリックが」『THEMIS』2017年5月号)。
■リスクの個人化に軸足を置き格差・貧困を是正
2014年、2017年の衆議院選挙の際に実施された「朝日・東大谷口研究室共同調査」では、無回答。管見の限り、雑誌インタビューなどでも、ほとんど言及がなく、語っていても極めて限定的で立場を鮮明にしていません。
では、小泉さんを位置づけてみたいと思います。
小泉さんは、競争原理を重視し、「自助」を強調することから、縦軸は「リスクの個人化」傾向を示していると言えるでしょう。一方で、価値の問題については不明瞭なため、「どちらでもない」中間に位置づけるしかありません。
■これからの小泉さんに求められること
よって、彼の位置はⅢ~Ⅳの中間(縦軸上)ということになります。これは父・小泉純一郎元首相と、おおむね同じ立ち位置です。両者は多少の政策的相違点がありますが、大きく分けると同じタイプの政治家だということができるでしょう。
父の新自由主義路線によって生じた格差・貧困の問題を、「リスクの個人化」に軸足を置きながら是正していくというのが、小泉さんの基本姿勢ということができると思います。
得意とする分野が偏っていることも気になります。外交・安全保障面では、アメリカだけでなく、アジア諸国との人的ネットワークも構築しなければなりません。インドとの関係はCSIS時代から継続的に構築していますが、まだまだ国際的人脈も偏りがあるように見えます。経済政策についても、明確なビジョンやスタンスを示すことができておらず、不安がつきまといます。
評価できるのは、日本全国を遊説・視察で回り、多くの人の生の声に触れてきている点です。
そのなかで「自助」の限界を理解し、被災地や過疎地で苦境に立たされている人の姿を目にしてきたことは、政治家としての幅を広げることにつながっているでしょう。
小泉さんがやるべきことは、自らの総合的ビジョンを整理し、本を書いてみることではないでしょうか。政治家になって10年という節目ですので、具体的な総理候補とみなされる次の10年に向けて、不得意分野を埋めていく作業が必要になると思います。
今の小泉さんに必要なのは、個別に追求してきた政策を統合する総合的知の獲得です。
中島 岳志 :東京工業大学教授
この記事読んでて私は背中にこそばゆさが感じられ恥ずかしさを感じた。誰が書いたか知らないが、この小泉純一郎・小泉進次郎親子は政治家(私はこの二人を政治家とは思っていないし、政治家とは言いたくない)としての質が本当にあるのかと問いたい程だ。この小泉進次郎議員を誰が将来の首相候補と決めたんだ? それこそマスコミがこぞって忖度したんじゃと私は思ってる。この記事にあるように、それなりの議員と言うのは、自らの夢や実現したい政策など、何かに発表する筈であり、手っ取り早い手法が本の出版である。それもせず、マスコミのお膳立てに異論も出さず傍観してると言うのは、黙認の何物でもない。
もし彼が一時期自民党の農業部会長の要職にあった時、何で農業が衰退したのか全然わかっていなかったし、だからこそ「アグリビジネス」等と流暢な事言ってられるのだろうと思う。農業が衰退したのは何の事ない昭和の50年代に東北の農村の所得を上げるため、専業農家を差し置き、兼業農家に1a当たりの補助金をやって農家の1票を買ったのである。それが何を意味したかと言えば、農家に農産物の奨励をしないで、当時の農家の出稼ぎの代わりに、その地方の公共事業を増やし、作業員として手間を取らせての農業振興を図ったのである。そうなれば天候に左右されやすい農作物はリスクが大きく、簡単に手間が取れた作業員に農家がこぞって就活したのである。よって兼業農家の農地は荒れ、荒れれば1a当たりの転作と称し補助金攻めとしたのである。農協云々の如何の前にこのような自民の農業政策を批判して新しい農業政策を起こすべきだったのに、普通の国会議員と同じように、若い議員が机上での政策を掲げようとしても新しい政策は生まれない。彼が農業部会長としての存在感のある政策を掲げる事がない議員だとしたら、何が将来の首相候補かと言いたい!