「内閣人事局」の制定により従来の「党高政低」が「政高党低」に変わり内閣官房長官の選任が今後を占う

 滅多に個人的な感情を表に出すことのない官房長官菅義偉が珍しくストレートに喜びを語った。 「同じ秋田県出身者として優勝できるよう心から応援したい」
 全国高校野球選手権大会秋田県金足農業高校秋田市)が820日の準決勝で決勝進出を決めた時の菅の感想だ。
 無論、菅の高揚感の背景にあったのは金足農業の活躍だけではない。首相安倍晋三が直面する二つの重要選挙で菅が主導権を握りつつあるからだ。「自民党総裁選と沖縄県知事選」より菅が存在感を発揮するのが前沖縄県知事翁長雄志の急逝に伴う知事選だ。
 菅はかなり早い段階で翁長がすい臓がんを患い、病状が深刻であることを把握した。地元の自民党
沖縄県連や経済界には「候補者を7月中には絞―込むように」と指示を出している。
 菅にとって翁長は米軍普天問飛行場の名護市辺野古への移設をめぐって、ほぼ3年半にわたって対
立を続けた「政敵」でもあった。辺野古沿岸部の埋め立て承認を取り消した翁長の決定を違法として異例の裁判闘争に持ち込んだのも菅だ。裁判は国の勝利に終わったが、翁長は死の直前に開いた記者会見でなお戦う意思を語った。「(承認)撤回に向けた聴聞の手続きを実施する。今後もあらゆる手法を酷使して、新基地を造らせないとの公約実現に向け、全力で取り組む」
 翁長の死はそれから12日後の88日。まさに普天間問題に命を懸けた「殉職」と言ってよかった。日本の選挙で「弔い選挙」ほど強い選挙はない。故人への思慕の念が有権者の間に広がり、大きな流れを呼び込む。逆に受けて立つ側は、この感情の爆発をいかに喰いとめることができるかが勝負の分かれ目。まず動いたのが自民党幹事長の二階俊博。急逝の報を受けて翌日には幹事長代理の林幹雄を同道させて那覇に赴き、翁長の自宅へ弔問のために足を運んだ。二階を追いかけるように菅は10日に営まれた通夜に参列した。
 「普天間移設をめぐって政府と異なる場面もあったが、2人で沖縄
の発展についてよく話した。ご冥福を祈りたい」
 通夜への列席の一方で菅は同時並行的に選挙急備を急いだ。菅が説得してきたのは普天間飛行場のある宜野湾市佐喜眞淳(54)。菅が描いたシナリオ通り佐喜眞は730日午後、自民党沖縄県連の出馬要晴を受諾した。
 菅の情報網が手、先手の知事選対を支えた。しかし、菅の動きは思わぬ軋傑を生じさせた。二階との関係だ。菅と二階は、党と官邸の役割分担でバランスを取りながら共存共栄の関係にあった。二階の最大関心事は選挙だ。
 「幹事長の仕事は選挙に勝つことだ。ブロ野球でも勝てない監督はクビだ。それと同じだ」
 その領域に菅が入り込んできたと受け止めた二階は敏感に反応した。沖縄県知事選を巡る菅の動きは「幹事長型官房長官」と言っていい。政策と選挙の二刀流だ。歴代の官房長官では、普天間問題に真正面から取―組んだ梶山静六野中広務が同じカテゴリーに入るかもしれない。
 さらに菅・二階関係をより複雑にしているものがある。総裁選後に想定される内閣改造自民党役員人事だ。来年80歳を迎える二階だが、「生涯幹事長」の執念を燃やす。一方で、党内には二階の年齢に対する懸念がある。
 「来年4月の統一地方選7月の参院選は二階幹事長では無理かもしれない」
 このため浮かんでは消え、消えては浮かぶ「二階副総裁説」が官邸サイドから流れてくる。しかも後任の幹事長に菅の観測が飛び交う。総裁選の投開票日は920日。安倍は22日には国連総会に出席するためニューヨークに出発する。そして沖縄県知事選は30日。総裁選直後に大幅な人事を行うとなれば知事選への影響は避けられない。そこで浮上したのが改造を先送―する「10月人事」だ。それでも二階と菅の間に生じた隙間風が収まるとは限らない。
当然だが「二階副総裁説」「菅幹事長説」の背景には安倍の思惑が潜む。安倍は826日の出馬表明の中で「あと三年、日本の舵取りを担う決意」と語ったが、そこで終わるのか。安倍が3度目の衆院解散総選挙の機をうかがっているとの見方が根強くある。そのためには二階が安倍にとって厄介な「門前の仁王様」に見えているのかもしれない。その二階を副総裁に祭り上げ、いわば「オール安倍体制」の構築を狙っても不思譲はない。菅が幹事長に就任した場合の後任官房長官には厚生労働相加藤勝信政調会長甘利明、総務会長岸田文雄らの配置構想が取り沙汰される。そのためにも総裁選圧勝と沖縄県知事の奪還が必須だ。
翁長の後継候補は、生前翁長が残した録音テープで氏名を挙げた衆院議員で自由党幹事長の玉城デニー58)。与野党一騎打ちの構図が固まった。いよいよ本番というタイミングで二階は829日からの訪中日程を突然発表した。官邸への事前連絡はなし。沖縄県知事選と総裁選直前の仕切り役不在に臆測が乱れ飛ぶ。二階には安倍三選への道を拓いた最大の功労者という自負がある。三選出馬の大前提である党則改正による総裁任期三年延長がなければ、安倍はこの9月で退陣していた。自民党各派の領袖の中で先陣を切って安倍三選の流れを形成してきたのも二階だった。
 「三選支持は1ミリも変わっていない」
 あえて二階は派としての推薦状まで安倍に持参した。しかし、二階が総裁選全体の中で主導権を発揮しているとは言い難い。突然の二階訪中は安倍への“抗議行動”のにおいが強い。確かに7月以降は安倍と菅が大きなシナリオを動かしてきた。最初の標的となったのは政調会長宏池会(岸田派)会長の岸田文雄61)。618日―――。この日は早朝に大阪北部を震度6弱の地震が襲い、死傷者が出ていた。にもかかわらず安倍は夜になって岸田と東京・赤坂の日本料理店「古母里」で食事を取りなが会談した。安倍にとっての勝負所だったのだろう。岸田の取り込みに向けて全力を挙げた。「地震よりも総裁選」――。
 安倍がなぜここまで精力を注いだのか。その背景には依然として参院自民党に大きな影響力を保持する、元自民党参院譲員会長の青木幹雄84)の存在があった。青木の宿願は政治の師でもある元首相竹下登が創設した「平成研究会」(現竹下派)の再興。元首相福田赳夫の流れを汲む清和政策研究会(現細田派)からの旧竹下派の奪権闘争にあった。その初手が、優柔不断の額賀福志郎を派閥会長の座から引きずり降ろし、竹下登の弟で自民党総務会長の竹下亘71)を派閥の会長に据えること。
 ところが、額賀が意外な抵抗を見せる。二階や衆院議長の大島理森ら当選同期に比べて額賀は不遇をかこつ。派閥会長にしがみつく。これに対して青木は側近の現参院自民党幹事長の吉田博美69)を使って実力行使に出た。参院竹下派の集団離脱を画策したのだった。ついに額賀も抵抗を諦めた。会長交代は419日。この時点で青木が描いた、総裁選で担ぐ意中の候補は岸田だった。
 青木と同じ東京・平河町砂防会館に事務所を置く宏池会前会長の古賀誠78)に話を持ちかけた。
さらに心情的には安倍支持の石原派会長の石原伸晃も抑え込む。石原は6年前の総裁選で青木の全面支援を受けたにもかかわらず惨敗した。
 「今度はきっちり返してもらわんと」「青木先生の仰せの通りに動きます」。
 石原は身動きがとれなくなった。まず岸田が安倍に籠絡された。724日午後、岸田は急遽記者会見を開いた。
 「政治理念や政策には異なる部分があるが、私の考えに丁寧に耳を傾け理解を示してもらった」
 総裁選への不出馬を表明したのだった。安倍にとって党内第三派閥の岸田派を取り込んだ意味は大
きく、総裁選の流れを決定づけた。これに対して青木の動きを素早かった。翌日午前中に竹下、午後に吉田を相次いで事務所に呼び、元幹事長の石破茂支持を通告した。
 「来年の参院選はこのままでは勝てませんわね。党内にいろんな意見がのうなれば国民はそっぽを向くわね」
 青木はさらに翌日、元首相森喜朗81)に自らの方針を伝えた。
 「そんなことをしたら竹下派は分裂するんじゃないですか」「お前さんのところも6年前の総裁選で安倍、町村(信孝)を立ててその後もうまくやっておるじゃないか」。
 しかし、青木の思惑を見透かすように安倍は竹下派内に手を突っ込んでいた。安倍の手足となって動いたのが“風見鶏”と祁楡される経済再生担当相で竹下派会長代行の茂木敏充62)。加えて加藤勝信62)も茂木に加勢した。いずれも竹下派の途中参入者だった。参院竹下派は吉田の影響力を背景に石破支持でまとまったが、衆院側は会長の竹下の意向を無視した。82日の派内の意見交換会の結果は無残だった。
 「21人の出席者のうち85分が安倍さん支持で、残りは会長一任」(竹下派幹部)
 安倍支持の口火を切ったのは最年少の鈴木宗男の長女、鈴木貴子(32)。
「日本外交を考えたら安倍さんしかいない」
 父親譲りの政治勘が冴えた。これが流れをつくった。竹下はそれでも個人としては「石破支持」を表明したが、政治的敗北だった。周到な根回しと深い洞察力で政権の座を手繰り寄せた竹下登とは比べるのも酷。菅は吉田とも連絡を取り、参院竹下派の切り崩しに動く。青木の戦略はもろくも崩れた。
 815日、終戦の日の夜の光景は安倍の勝利宣言と言っていいだろう。恒例となった山梨県鳴沢村にある日本財団会長の笹川陽平の別荘での会食。そこには総裁選のキーマンたちの顔が揃った。安倍を筆頭に、森と小泉純一郎76)の両元首相。副総理兼財務相麻生太郎77)、茂木、加藤、そして岸田が初めて出席した。ラフな服装でリラックスするメンバー
の中で岸田だけがスーツにネクタイ姿。安倍の軍門に下った岸田を象徴するような光景だった。
 そして岸田の不出馬以降、出番を失いつつあるように見えるのが二階だ。しかし、そのことは、安
倍が二階を敵に回す可能性を秘める。二階側近はこう語る。
 「来年の参院選自民党が負けたら安倍さんを誰が守れるのか。二階幹事長しかいないだろう」
 二階は訪中の帰路に沖縄県知事選の応援のため宮古島入りする予定。さらに訪中目的の一つに拉致
問題への取り組みもささやかれる。
 安倍は出馬表明の中で「あと3年、日本の舵取りを担う決意」と語ったが、求心力を維持できるのか。総裁選は単なる通過点に過ぎない。総裁選後の幹事長人事がその後の政局のカギを握る。(敬称略)
 
 
これ『3期目の主導権を争う「暗闘劇」 安倍「10月人事」政局の行方』と題した月刊誌『選択9月号』の記事である。