<2018年6月2日号> 安倍政治における言葉の無意味化については本欄でたびたび指摘してきた。しかし、病理は深刻になる一方である。5月14日の衆議院予算委員会で、国民民主党の玉木雄一郎共同代表が次のような重要な質問を行った。
「安倍晋三首相は『日米は百パーセント一体』と強調するが、米朝首脳会談において北朝鮮がICBM(大陸間弾道ミサイル)の廃棄を約束すれば米国は本土への脅威がなくなったと満足し、手打ちを行う可能性がある。しかし、中近距離のミサイルが残されれば日本にとっての脅威は続く。この点について首相はどう考えるか」
玉木氏の質問のさなかに麻生太郎副総理がヤジを飛ばし、議場は騒然となった。その混乱の中で時間切れとなり、玉木氏の質問に安倍首相は答えないままに終わった。
痛いところを突く質問に対してヤジを飛ばしてうやむやに済ませるのは、議会政治の破壊である。小学校の学級会でも、議論のルールはもっとまじめに守っているだろう。このような人物を副総理に据える安倍内閣は、国会を学級崩壊状態に陥れた元凶である。
現憲法下では、野党議員の質問やメディアによる政権批判の言論を政府が力ずくで弾圧することはできない。わざわざ力を振るわなくても、相手をバカにし、聞かれたことに答えず、言葉の意味を崩壊させて議論を不可能にすれば、批判する側はしだいに疲れ、あほらしくなり、批判をやめるかもしれない。それこそが政府・与党の狙いだろう。これは安倍政権が発明した「21世紀型の言論弾圧」ということもできる。
政治の現状を見ていると、私は、1950年代にブームとなったベケット、イヨネスコなどによる「不条理劇」のさなかに放り込まれたように感じる。不条理劇に関するウィキペディアの次の説明は、日本政治にそのまま当てはまるのではないか。
「登場人物を取り巻く状況は最初から行き詰まっており、閉塞感が漂っている。彼らはそれに対しなんらかの変化を望むが、その合理的解決方法はなく、とりとめもない会話や不毛で無意味な行動の中に登場人物は埋もれていく。(中略)言語によるコミュニケーションそのものの不毛性にも着目し、言葉を切りつめたり、台詞の内容から意味をなくしたりする傾向も見られる」
安倍首相のウミを出し切るという発言、セクハラ罪という罪はないという麻生副総理の発言、「記憶の限りでは」という言葉をかぶせればどんなウソをついても構わないといわんばかりの、柳瀬唯夫・元首相秘書官の発言。どれも不条理劇の中のせりふさながらである。
国民は不条理に対して怒るよりも、それに慣れていく様子がうかがえる。5月19、20日に行われたいくつかの世論調査では、内閣支持率が若干上昇に転じた。森友学園、加計学園をめぐる疑惑について、人々が政府の説明に納得しているわけではなく、安倍政権が最重要法案と位置づける働き方改革関連法案についても支持が大きいわけではない。
たとえば、朝日新聞の最新の調査では、安倍首相や柳瀬元首相秘書官の説明で加計問題の疑惑が晴れたかという問いに対して、「疑惑は晴れていない」が83%、「疑惑は晴れた」は6%。森友学園や加計学園をめぐる疑惑の解明に、安倍政権が「適切に対応していない」と答えたのは75%、「適切に対応している」は13%だった。また、働き方改革関連法案は、「今の国会で成立させるべきだ」19%、「その必要はない」60%だった。
しかし、内閣支持率は前月の31%から36%に上昇した。不支持が支持を上回る状態が3カ月続いたものの、支持率が底を打ったからか、政権側には不思議な余裕さえ感じられる。
通常国会の会期は残り1カ月となったが、働き方改革関連法案やカジノ解禁を進めるIR(統合型リゾート)関連法案を強行採決によって可決するという観測も流れている。記憶できないくらいに疑惑、不祥事を続ければ国民もマヒするだろうと、政権は高をくくっているのかもしれない。
■それでも根強い安倍支持
自民党内に首相の地位を脅かす有力な反主流派は存在しない。朝日調査で、今年の秋に自民党総裁の任期が切れる安倍首相に総裁を続投してほしいかという問いに、「続けてほしくない」は53%、「続けてほしい」は33%だったが、自民党支持層に限ると「続けてほしい」62%、「続けてほしくない」28%だった。このまま国会を乗り切れば、自民党支持者の応援を得て安倍3選の可能性は高まる。
権力維持という点だけから見れば、国会で閣僚や官僚が不条理劇を演じていればよいのだろう。だが、それは日本政治の正統性を融解させ、内外の課題解決を遠ざける。安倍首相は、秋以降に憲法改正発議を進める意欲を捨ててはいないのだろう。これほどまでに道義と論理を破壊した政治指導者が、道義と論理の体系である憲法の瑕疵(かし)をあげつらい、その改正を叫ぶというのも不条理劇である。
日本の議会政治を守るのは、選挙における常識的な民意の表現しかない。安倍政権不支持が底を打ったのも、代わりになる野党が四分五裂状態で頼りにならないという事情が大きく作用している。
一つの試金石は、6月10日投開票の新潟県知事選挙である。2年前の参議院選挙以来、野党が市民運動との協力で候補を一本化し、いくつかの選挙で勝利してきた場所だけに、政権対野党という対決構図でどちらが勝つか注目される。
また、立憲民主党と国民民主党の一体化が不可能なことは明白である。しかし両党は、来年の参議院選挙における野党各党の選挙協力の構想を持ち、ほかの野党を巻き込みながら議論を始めるべきである。
山口 二郎 :法政大学教授
これ『進行する言葉の無意味化 安倍政治は「不条理劇」』と題した週刊東洋経済 5/26(土) 7:00の時の配信記事だった。
この状況が今もズーと続いている。しかもその安倍首相党則を変えて今三選に立候補してる。しかもほぼそれが確実といえば、この状況が後三年続くと言う事だ!戦後の政治史においてこんな事は一度もなかった事である。こう言う状況を自民党の国会議員許すのか。それでも安倍政治を継続するならもはや民主政治の崩壊と言え、政治史に禍根を残すのは確実である。安倍首相本人は知ってか知らずか平気の平左であるとこ見ると。何も理解もしてないと言える。これが許されるなら最早政治は国民の手から離れ、戦前の軍国政治に逆戻りになり、世界から孤立するは請け合いだ。それを自民党議員はこの総裁選挙において選択するのか?