今話題の豊田真由子議員自民党を離党したが議員辞職は無いらしいが、豊田議員もそうだが被害秘書も酷すぎる!

このハゲー!」で有名になった「暴言議員」にも、家族がいる。耳を疑うような妻の「絶叫音声」を、連日の報道で聞かざるを得なかった夫の心中はいかに。前回はそのダイジェスト版をお届けしたが、今回はその全文を公開する。
 
■本人は本当に反省しています
豊田真由子議員の夫・吉村圭氏(仮名)は、「内閣官房企画官」の肩書を持つ霞が関のキャリア官僚だ。騒動以降、豊田氏の家族はどう暮らしてきたのか。夫・吉村氏が重い口を開いた。
豊田氏の元政策秘書55歳)が録音した「絶叫暴言」のインパクトは凄まじかった。暴行をも疑わせる音も多数収録されており、元秘書は埼玉県警に被害届を提出している。豊田氏はなぜあのような暴言を吐いたのか。やはり政治家として相当なプレッシャーがあったのか。
 
「あの(告発した)秘書さんかどうかは分かりませんけれど、秘書さんの信じられないようなミスとかもあったようです。
本人もどうしたらいいんだろう、と悩んでいるような感じはありました。そういう意味では、ちょっとストレスを抱えているなというのは感じていました。でもこういうことになるとまでは思っていなかったんで……申し訳ないです。
今は子供たちをケアすること、それだけが僕の役目だと思っています。学校でいじめられたりすることだけにはならないようにしたい。
騒動以降、ここ3週間くらいは子供たちにテレビも見せないようにしています。学校ではちょっと言われることはあるみたいですけど。
でも『ママは一生懸命、仕事一筋でやってきた』ということは子供たちもわかっています。正直、今は妻のことまでケアする余裕はありません」
 
■妻は僕の100倍忙しい
豊田真由子氏は、東大合格者数で全国トップの女子校・桜蔭高校から東大法学部を経て、厚生省(当時)にキャリア官僚として入省した。
一方の吉村氏は7歳年上。愛媛県の名門公立高校から同じく東大に進み、建設省(当時)に入省した。
2人の知人はこう語る。
2人ともキャリア官僚でしたが、お互いが官庁から留学のために派遣されていたハーバード大学大学院のキャンパスで出会ったと聞きました。先に吉村さんが帰国し、豊田さんの帰国から間もなく結婚。もう十数年になるはずです」
2人の子を出産後、豊田氏は'12年に厚労省を退職し、同年に自民党公募から公認候補として埼玉4区から衆院選に出馬し当選する。文部科学大臣政務官なども務めた2回生代議士だ。
吉村氏は国土交通省で住宅局などを中心に勤務し、途中ユネスコへの派遣も経て、現在は内閣府で地方創生関連の業務に従事する企画官である。仕事柄、出張で全国を飛び回ることも多い。
 
――お子さんの面倒は、実家でみているのですか。
 
「いや、私のほうでやっています。今日はどうしても(帰宅が)遅くなってしまったのですが、いつもは自分と、ベビーシッターさんもいますので」
 
――これまでも、そうした環境で家事や育児をされてきたのですか。
 
「妻は僕の100倍、いや数字では表せないですけど、それくらい忙しい。選挙区のことを常に考えていました。家にずっといないわけではないのですが、朝早く出て夜遅く帰ってくることも多い。
 
でもその限られた時間のなかで、娘と息子に対して最大限の愛情を注いできました。それは子供にも十分伝わっています。子供たちは、お母さんはお国のために頑張っているんだと思っています」
 
 
 
――豊田さんは入院しているということですが、退院時期など、目途は立っているのですか。
 
「それはまだありませんね。精神的につらい状況になっていると思います。すべてに対してショックを受けているでしょうし……。
 
本人は本当に反省しています。秘書の方、選挙区の方々、支援者の方、世間の方、子供たちに対して申し訳ないと思っています。すごく反省していると、本人も言いたくてしょうがないと思います。でも今は精神的にそんな状況ではありません。もうちょっと時間がかかると思います」
 
選挙区の埼玉・新座市自民党支援者は怒りをにじませながら語る。
 
「本当に裏切られた気持ちですよ。事件があっても地元には何の説明もない。入院している場合じゃないでしょう」
 
豊田氏の地元との接点はもともと薄い。埼玉県に自宅をおいているものの、あくまで選挙対策。実際の住居は冒頭の都内のタワーマンションだ。埼玉の地元事務所の隣人はこう証言する。
「最近は近所の子供たちが事務所の前を『このハゲー!』と叫びながら通り過ぎていきます」
事務所のドアには「議員辞職を求めます」と落書きされたこともあった。
 
■今後の事はわからない
 
豊田氏は千葉県船橋市生まれ。学習塾を経営する両親のもと、3人姉妹の次女として生まれた。
実家を訪ねると、肩くらいまで白髪を伸ばした豊田氏の父親は、「今はそのときじゃないから。大きな流れがある。ご足労かけてすまんことだけども、もうしばらくは放っといてくれ」と答えるのみだった。
吉村氏の証言に戻ろう。
 
――入院しているという豊田さんの様子を教えて下さい。
 
「私も常に連絡を取っているわけではないので、つぶさにはわかりません。子供たちとは会わせていません。あえてそうしています。
仕事のこととか、これからのことは分かりませんが、今の彼女にとっては子供が大丈夫かということと、選挙区の支持していただいていた方たちになんとお詫びしていいだろうかという気持ちでいっぱいだと思います」
 
――豊田さんは、自分のお子さんに対しても、厳しく躾をすることはありましたか。
 
「いや、そんなことはないです。愛情あふれる母親です。常に抱きしめていましたから。それが限られた時間で彼女にできる最大限ですから」吉村氏の声は終始落ち着いていたが、最後には苦渋に満ちた表情で深く頭を下げた。
「本当に、申し訳ありませんでした。失礼します……」と語ると、マンションへと入っていった。
米国留学時、豊田氏の「純粋でまっすぐなところに惹かれた」という吉村氏にとっては、今も彼女は愛する妻なのだ。
週刊現代201785日号より
 
 
これ「豊田真由子議員の一家はあれからどうなった?夫がすべてを語った」と題した現代ビジネス2017.08.01時の記事であった。
 
 
豊田真由子議員については、あらゆる新聞・週刊誌等で報道されているので割愛するが、唯一つどこのマスコミも皆豊田真由子議員の非難が100%だ。がそれも当然だが、私はどこも触れてない事に違和感を持った事にある。それはどこの記事にもある事だが、豊田真由子議員が言ってる状況を信ずれば、この秘書出来はかなり悪いみたいである。半世紀も商売してれば、この秘書のような上司はたまったもんじゃないだろう。私は今もそうだが、小沢一郎のファンで、昔自民党政権時の自治大臣をした時以来ズーっと支持し、現在もメルマガを頂いてる身として、政治家の秘書とは小沢一郎の秘書しか知らない者として見れば、こう言う一人前も無い(支持者に出すハガキ等の住所を間違う事)ような政策秘書なんて見た事も聞いた事も無い。そんな程度の低い政策秘書、他で雇わなかったから、たまたま空いていたから雇ったのではと私は推する。そう言う意味に於いては豊田真由子議員に同情したい気持ちもある事は事実だ。最近の政治屋(私は最近の議員を政治家と思っていないからこの様に表現してる)の程度が低いのは秘書の程度が低いからと思い、いやその逆とも言えると思っている。いづれにせよそんな議員や秘書しか居なくなった事が、現在の政治の低下であり、現安倍政権に独走を許す原因ではないのかと思っている。情けない事この上ない!