今回の安倍政権の「松友・加計学園問題」は政治主導を勘違いした結果であり、戦後政治史の最大の汚点である

 「吏道(りどう)」という言葉がある。「官吏として守るべき道」(大辞林)のことだ。森友学園問題でこの言葉と対比されたのは、早くも2017年の流行語大賞候補と言われる「そんたく」。組織的な天下りのあっせんや汚職事件などは論外だが、そんたくが事実なら吏道からの外れ方が、ちょっとみみっちくないか。【葛西大博】
 
 「僕らの頃は『官僚たちの夏』を読んで役人を目指したやつばかりでしたよ」。通商産業省(現・経済産業省)出身の民進党江田憲司代表代行は、遠いまなざしで40年近く前の入省時代を振り返った。
 作家、城山三郎の代表作「官僚たちの夏」。1960年代初めの通産省の官僚群像を描いたベストセラーだ。「おれたちは、国家に雇われている。大臣に雇われているわけじゃないんだ」--。元通産事務次官の佐橋滋をモデルにしたと言われる主人公のこのセリフ。国を支えるのは自分たちだという強烈な自負心が伝わってくる。
 「官僚の質は変わったんでしょうね。国を背負って立つんだというエリート意識が崩れるターニングポイントは、大蔵省(現・財務省)の接待汚職事件ではないか」と江田氏。
 98年に発覚したこの事件は、大蔵官僚が銀行側に検査情報を漏らす見返りに「ノーパンしゃぶしゃぶ」などの過剰な接待を受けていたというもの。官僚が相次いで逮捕・起訴され、当時の大臣や次官が辞任に追い込まれた。「官僚の中の官僚」であるはずの大蔵官僚への評価が地に落ちた事件として記憶に新しい。
 漢文学者の青木五郎・京都教育大名誉教授によると、「吏道」という言葉は、司馬遷が著した中国の歴史書史記」(紀元前91年ごろに完成)に初めて出てくる。漢の武帝が、財政難から官職を金で買える制度などを設けた結果、事件や問題が多発し、官僚の質が落ちたとの記述だ。どこか現代に通じるものがある。
 もう1人、官僚出身者に聞いた。厚生省(現・厚生労働省)を経て宮城県知事を務めた浅野史郎・神奈川大特別招聘(しょうへい)教授は、2009年の民主党(現・民進党)政権誕生が、官僚のモチベーション低下につながったとみる。「政治主導」を掲げたが、空回りしたのはご存じの通り。浅野氏は「政治優位はあるべき姿ですが、あまりにも稚拙すぎた」と指摘する。
 当時、みんなの党に所属していた江田氏も同調する。「官僚に任せていい仕事まで、大臣や副大臣が電卓たたいて計算していたというばかげた話もある」。混迷を深めた民主党政権は3年余りで終幕を迎えたが、国民の失望たるやすさまじく、結果的に安倍晋三首相の長期政権へとつながっている。
 
 そして、大阪市の学校法人「森友学園」問題である。安倍首相の妻昭恵氏が名誉校長に就任する予定だった私立小学校の認可や、国有地払い下げを巡り、官僚側の「そんたく」の有無が問題視された。すっかり有名になった財務省の佐川宣寿理財局長にはこんな国会答弁がある。2月24日の衆院予算委員会で、共産党宮本岳志議員への答弁だ。
 Q (財務省近畿財務局と森友学園側の)交渉記録はいつ廃棄したのですか。
 A 平成28年6月の売買契約締結をもちまして、すでに事案が終了していますので、記録が残っていないということです。
 Q 驚くべき答弁ですね。6月20日に売買契約を交わしたらその日のうちに処分したということですか。まったく納得できないですよ。
 「日本官僚白書」など数々の著書で官僚批判を展開してきた評論家、佐高信氏は「財務官僚のプライドはないのかと言いたくなる。誰が見たっておかしい」とあきれ顔だ。さらに続ける。「そんたくは自分の出世を考えれば昔からあるが、今はそんたくばかりで超えてはいけない枠が見えなくなっている」
 今回の森友問題の背景として、江田、浅野、佐高の3氏の見方が一致している点がある。内閣人事局の存在だ。国家公務員の幹部人事を政治主導で一元的に管理する目的で14年5月に発足した。
 江田氏は「カネと人事を握るのは組織管理の要諦で、人事局を作ったこと自体は100%正しい」と述べる一方、「役所が提出した次官人事を首相官邸が破棄したこともあったと聞く。霞が関の官僚はその存在に震え上がっていて、今回の森友問題への影響は極めて大きい」と指摘する。浅野氏も「人事を政治主導でやることは正しいのですが、副作用として『そんたく』が象徴的なものとして表れた」。人事権を握られたことで、各省庁が首相官邸の顔色をうかがうようになったことが、森友問題の背景にあるというのだ。
 
 吏道の体現者としていまだに名前が挙がるのが、後藤田正晴官房長官である。旧内務省に入り、警察庁長官官房副長官を務め、政界入り。中曽根康弘内閣で官房長官を務めた。その著書「後藤田正晴の目」にはこうある。「私は内務省に入って『爾俸爾禄/民膏民脂/下民易虐/上天難欺』という言葉を教わった」
 「なんじのほう なんじのろくは/たみのこう たみのしなり/かみんはしいたげやすきも/じょうてんはあざむきがたし」と読み、要約すれば「お前がもらう給料は民の汗と脂の結晶である。それを忘れて民を虐げると天罰があるぞ」という意味だ。後藤田氏は「『役人』の心構えとして、この教えを再び呼び起こさなくてはいけない」と説いていた。この言葉は、江戸時代の二本松藩福島県二本松市)が藩士の戒めとするため「戒石銘碑」に刻んでおり、現在は国指定史跡となっている。
 
 吏道の体現者としていまだに名前が挙がるのが、後藤田正晴官房長官である。旧内務省に入り、警察庁長官官房副長官を務め、政界入り。中曽根康弘内閣で官房長官を務めた。その著書「後藤田正晴の目」にはこうある。「私は内務省に入って『爾俸爾禄/民膏民脂/下民易虐/上天難欺』という言葉を教わった」
 「なんじのほう なんじのろくは/たみのこう たみのしなり/かみんはしいたげやすきも/じょうてんはあざむきがたし」と読み、要約すれば「お前がもらう給料は民の汗と脂の結晶である。それを忘れて民を虐げると天罰があるぞ」という意味だ。後藤田氏は「『役人』の心構えとして、この教えを再び呼び起こさなくてはいけない」と説いていた。この言葉は、江戸時代の二本松藩福島県二本松市)が藩士の戒めとするため「戒石銘碑」に刻んでおり、現在は国指定史跡となっている。
 
 
これ『特集ワイド 森友問題で揺らぐ官僚像 「吏道」より「そんたく」か』と題した毎日新聞2017515日東京夕刊の記事である。
 
 
前の政権の民主党(当時)がやろうとして出来なかった事を自民党が強引にやった結果が「松友・加計学園問題」の不祥事を産んだと言える。その典型が内閣人事局の設置である。神代の時代より日本の人間社会は「持ちつ持たれつ」の関係でやって来た。英語流に言えば「give take」とでも言えようか。この英語を人間的に訳して表現すれば、もちつもたれつ、支え合う、歩み寄り、互いに協力し合って、などなどの意味になるが、要は政治家と官僚が互いに「持ちつ持たれつ」でやって来た機構を安倍政権がぶち壊した事にある。数年前に、確か石原慎太郎東京都知事が知事選に出た時に、かの橋下前大阪市長が応援に駆け付けた時と記憶してるが、民主党政権時の「政治主導」を批判して、大局的に判断するのが政治家の役目で、その施行過程の行政実務が官僚・役人の仕事だと仲良くのたまった。当時の民主党政権時の実力者小沢一郎に対抗目的で言った言葉と私は理解してる。政治家と官僚・役人が共に「持ちつ持たれつ」で出来なかった民主党政権に諂う形で出来た内閣人事局と私は今でも考えてる。安倍政権がやった結果どうなったかと言えば、「持ちつ持たれつ」の一方の側の官僚が、自分らの特権の慣習に政治家が土足で踏み込んで来たとの感が強く感じた筈である。だからこそ国会答弁で批判された財務省元財務局長の佐川宣寿国税庁長官に代表される、安倍政権を守る答弁と言うよりは官僚自身を守るためや、その存在感やその質を見せつけた姿勢に見る事が出来るのである。彼らは官僚として安倍首相を守ると言うよりは、心ではバカにしながらも、従順し、官僚としての「吏道」を守ったと自己礼賛した事だろう。表向きは部下なれど上司の上を行った行動であり、政治家なんてと笑っても居た事だろう。これにて永田町は完全に霞が関の手中にあると見たのは私だけなのであろうか。
安倍晋三内閣は戦後史上唯長くやっただけの内閣で、史上の汚点を背負いもうすぐ終焉となろう。彼の政治使命の「憲法改正」は不可能に近くなったろうとも言えるし、それも自業自得と言えるだろう。辞めて早く楽になった方が良い!