産経新聞5月21日付朝刊では、次期次官の本命とみられていた岡本薫明・主計局長の昇格が見送られ、代わりに国際金融の責任者である浅川雅嗣・財務官、もしくは森信親・金融庁長官の起用が浮上している──と報じられた。
浅川財務官は麻生太郎・財務相兼副総理の“懐刀”として知られる人物で、永田町では「“浅川次官構想”は間違いなく麻生人事だろう」と見られている。この人事が実現すれば、麻生氏は同省の「守護神」として影響力をふるうことができる。もう一人の次官候補に名前があがった森氏の後ろ盾は菅義偉・官房長官だ。
政治家が財務次官の人事をめぐって、パワーゲームを繰り広げているのである。
かつて財務省は「10年先の事務次官まで決まっている」(同省OB)と言われていた。時の権力者から人事に介入されないように、同期入省組が課長クラスになる頃にはその中から「次官候補」を1人に絞り込み、同期全員が盛り立てる。人事のルールを壊すような政治家による抜擢には応じないという矜恃があった。
ところが、第2次安倍政権になってその人事のルールが崩れていく。きっかけは安倍首相が自分の首相秘書官を務めた田中一穂氏を次官に抜擢(2015年)、財務省はそれを受け入れ、同期から3人次官が続くという変則的な人事が行なわれたことだ。
今回の次官候補も、同省本来の順序によると、次の次官は岡本氏、その次は太田充・理財局長というレールが敷かれている。
しかし、岡本氏は森友文書の改竄問題で麻生氏による処分対象とみられており、太田氏も自民党に睨まれている人物だ。
改竄前の森友学園側との国有地売却交渉記録に安倍昭恵氏の名前が書かれていたことについて、太田氏は国会で「基本的に総理夫人だからではないかと思う」と答弁し、財務省の職員が昭恵夫人の影響力を認識していたことを認めたからだ。それに対して、自民党議員から「安倍政権を貶めるつもりがあるから、意図的な答弁をしているのか」と批判された。
政治家による人事介入をはねのける力がない財務省は、「次の政権」での組織再建を見据えている。
「安倍政権は長くてもあと3年しか続かない。その頃、次官になるのは太田局長の後の入省組だ。次官候補は、岸田文雄・自民党政調会長の妹婿の可部哲生・官房総括審議官と藤井健志・国税庁次長に絞られており、2人の温存を図ることが最優先になる」(同前)
「財務省はしたたかです。当面は不祥事の傷を最小限に防ぎ、次の総理の下で役所の再建を図ろうと動いている。これからは安倍政権を支えるという選択肢はとらないはずです」
だが、落ち目の安倍政権の政治家の権力争いに翻弄される現在の姿をみると、かつて“霞が関の最高位”と呼ばれた財務次官ポストも政治家の行動も、あまりに軽量級に成り果てたというほかない。
確かに「官僚主導」から「政治主導」への転換にはかなりのリスクが伴う。 数年前の政権交代時の民主党政権で良く解る。鳩山政権が何で失敗したか、沖縄での「最低でも県外」のフレーズだけでない、官僚を敵に廻し、官僚の理解を得られずいじめにあったようなものだったからだ。これを見る通り、行政の実務を司る「官僚組織」の賛同を得れなければ、政権つまり内閣の行政実務が出来なくなるからである。彼らは単体では何も出来ないが、官僚・行政の役人として、集団でボイコットをされれば行政実務がストップし、事実上の行政事務が立ち行かなくなり、事実上政治がストップしてしまう。これら(担保と言って良い)を抑えてる官僚・役人は強く、ある意味政治より上なのかも知れない。その中でも財政の予算を預かる財務省(の主計局)は省庁の中の省庁であり、今回の「モリカケ」問題を仕切った主役であった所以でもある。政権と言えどもそこに気遣う意味はそう言う意味でもあるのだ。それを頭ごなしに「政治主導」としてその人事を官僚から奪った「内閣人事局」は差し詰め官僚の慣習を奪い取った事に他ならない。つまりは政治が役人にけんかを売った事になり、官僚・役人のクーデターとも言えるのであるしそれが「モリカケ」問題だったとも言えるのである。