大震災対策の防波防潮堤を計画する当局の都市計画感覚・金銭感覚が理解出来ない

ギネスに掲載されるほどの防波堤が岩手県に存在する。30年という年月を費やし、水深が63メートルで全長1960メートル、1200億円以上の膨大な費用をかけて釜石港湾口防波堤という物を作った。リアス式海岸であるため、津波の高さが大きくなってしまう。それ故に陸上に作る防潮堤という堤防ではなく、海に作る防波堤という堤防が必要となったのだろうと想像する。
  しかし、世界一と言われた防波堤も東北地方太平洋沖地震によって引き起こされた津波の前に木端微塵となった。その津波の威力は(毎秒?)時速1000キロで飛行中のジャンボジェット250機分以上の運動量が断続的にあったとされており、想定外の津波にはほとんど無力な存在となってしまった。むしろ防波堤があるという安心感から市民が逃げ遅れてしまった可能性もある。
  ちなみに釜石港湾口防波堤は1896年(明治29年)の明治三陸地震(推定マグニチュード8.2から8.5:地震の規模は東北地方太平洋沖地震の15分の1から5分の1ぐらい)を想定して作られた防波堤である。これをも破壊してしまうのを見ると、今回の地震の大きさがよくわかる。
  防潮堤で日本一を誇っていた岩手県宮古市田老地区(旧田老町)にあった田老町万里の長城も今回の津波の前にはほぼ無力であった。チリ地震で起きた津波にも耐えた実績があり、住民への信頼感も大きかっただろう。たらればで言えば、今回の巨大地震の前には無駄な物となってしまった。
 
  これを機に、公共事業の在り方も見えてくるはずだ。もちろん変な主張をする者もいる。石原都知事蓮舫と対談した時に、「東京湾は一番津波が起こりやすい。もう1回計画し直しましょう」「スーパー堤防、いりますよ。あなたに(「廃止」と)言われたけどね」なんて言っていたそうだが、パフォーマンスで仕分けされたスーパー堤防津波対策の堤防は全く意味の異なるもので、これは石原が完全におかしい。
  まず東京湾は間口が狭く、奥に行くと海面が広がる構造であるため、津波に非常に強い場所である。神奈川県や千葉県沿岸部にに10メートル級の津波が来ても、東京湾に面する部分は2メートルぐらいまで下がると言われている。実際に今回の地震では、東京湾で被害を受けたのは船などが中心であり、埋立地にまで津波が襲ったというのは聞いていない。そもそも東京湾津波が一番起こりやすいなんて完全に間違いであり、当たり前のようだが、洪水用のスーパー堤防では津波は防げない。
  元々東京湾にある埋立地は海面から3メートルぐらいはある。それにプラスして防潮堤も整備されている。今回の大津波でも東京湾の奥では2メートルぐらいだった。それ故に被害はほぼ皆無だったのは説明するまでもない。災害に絶対はないが、それとこれは分けて考えなくてはならない。
  そういう石原の無知は置いておくとして、今回のような想定外の大災害から命と財産を守る公共事業は防波堤や防潮堤などではないことが明らかとなった。そもそも人口が数千人しかいない場所に1200億円もの費用をかけること自体が異常なことである。「たられば」かもしれないが、そんな馬鹿高い費用で地元への利益誘導と土建屋を潤すぐらいなら、最初から高台を整備しておけばよかったのだ。もちろん便利な海岸線沿いに住んでいる人を後から高台に住めというのも難しいことだったのだろう。しかし、防波堤を作るのに30年もかけて、その費用が1200億円だったのだから、低地に住む人を30年と1200億円かけて高台に移動させた方が遥かに防災として機能したはずだ。
  今となっては防波堤が壊れてしまい、もはや低地は住める状況ではなくなった。結局莫大な費用と時間をかけた公共事業が無駄に終わってしまったのだ。そして問題なのは今後のほうだ。過去の教訓を生かさずに同じような公共事業を繰り返すことのないようにしてもらいたい。失敗(歴史)に学べる頭が政治家や官僚に残っているはずだから、頭の軌道修正は可能なはずだ。
 
 
これライブドアブログ「日本経済をボロボロにする人々」とテーマした「1200億円かけて作った釜石港湾口防波堤をも無にした津波と今後の防災」と題したブログの一説を紹介した。
 
このブログで最後に言ってる「失敗(歴史)に学べる頭が政治家や官僚に残っているはずだから、頭の軌道修正は可能なはずだ。」は残念ながらそう言う政治屋や官僚は残るどころか最初からいなかったと言って良い。東日本大震災の発生から数か月後に、被害が最も大きかった福島、宮城、岩手3県の行政当局は数百か所に上る防波堤、防潮堤の建設を発表した事があり、総経費は約1兆円、東北太平洋岸には、これまで以上の数の防波堤や防潮堤が築かれることになったことがあった。農林水産省国土交通省が作成した報告書には、延べ35,000㎞に及ぶ日本の海岸線のうち、14,000kmの部分に堤防や防潮堤を築く必要があると記されていた。しかし役人や政治屋たちの頭の構造はとんでもないくらい大きい。堤防や防潮堤を築こうとするなら、理屈的には東北青森県から九州鹿児島県までの太平洋岸に築かなくてはならなくなる。何故なら針の穴をも通す水である。また高低差に敏感な水である、入れ物みたいに周りを囲まなくては意味がない。現実にそれをやろうとするには天文学的な長さと、天文学的な金がかかりとてもじゃないが出来る訳がない。唯々建設スーパーゼネコンを喜ばすだけである。このブログにもあるが、そんな金を掛けるくらいなら、住民に高台に移動してもらうのがどれだけ現実的か解らない。「住めば都」の住民の気持ちを奪うかもしれないが、それは話せばわかってもらえるだろう。とにかく行政は税金と言う他人の金である。無駄に見えてもそんなに意に反さない。何とか「入計出制」を胸に計画してもらいたいものである。