レンジャーズを自由契約となった藤川球児投手が選んだローカルリーグへの気持ちを支持したい

 米大リーグのレンジャーズを自由契約となった藤川球児投手(34)が1日、自身の公式ブログで、四国アイランドリーグplus(四国ILp)の高知ファイティングドッグスに入団することを発表した。古巣の阪神も獲得に動いたものの、藤川自身が「必要とされている場所でのプレー」を考えた結果、故郷でのプレーを選択した。
 心から求められる場所で投げたい。そして夢を届けたい。新天地に注目が集まっていた藤川が、決断を下した。再スタートの場所は、古巣ではなく故郷。四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスへの入団を発表した。
 藤川はこの日午後3時に自身の公式ブログを更新。高知からも入団が発表されたが、ブログ上で、レンジャーズ退団後に別のメジャー球団からオファーを受けたことや、ここまでの経緯を記した。
 その中で、決断の理由の一つとして明かしたのが「必要とされる場所で投げたい」という思いだった。こだわったのは、年俸などの条件面ではない。だからこそ高知を選び、逆に阪神は断りの連絡を受ける結果となった。
 「今朝、本人から連絡がありまして、入団する合意になりませんでした。個人的に残念です」と高野球団本部長。阪神は藤川がレンジャーズから自由契約となった段階で、代理人団野村氏に接触。その後藤川が帰国すると、獲得への方針を固め、高野本部長が「オファーは出しました」と極秘で直接交渉を行っていた。
 提示した条件は、高知よりもはるかに上だったと予想される。それでも復帰が実現せずに獲得失敗となったのは、藤川の「男気」だけが理由ではない。今後、再び藤川の獲得に動く可能性を問われた高野本部長は「ゆっくり考えます」と話すにとどめたが、今はまだ現実的ではない。
 坂井オーナーは、獲得失敗の報告を受けた上で電鉄本社で対応。「残念ですけどね。なかなか真意が伝わらなかった気がします」と振り返った。獲得できれば、中継ぎの不安を解消する起爆剤にもなりえたが、願いはかなわなかった。
 藤川はブログで「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供達に僕が投げる姿を見てもらって今後の夢に繋げて貰いたい!」と思いを記している。揺るがぬ信念と共に、新たな道を突き進んでいく。

これ「球児 阪神蹴った!古巣より故郷を選択」と題したディリースポーツ2015年6月2日の記事である。

 24日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、大リーグ、ヤンキース傘下のマイナーでプレーする井川慶投手(31)を「消え去ったヤンキース選手」の見出しで、スポーツ面のトップから3ページの大型特集で取り上げた。マンハッタンの自宅から2時間以上かけてマイナーの試合へ自家用車で移動する様子などが盛り込まれている。
  同投手は2006年末にポスティングシステム(入札制度)を利用して、阪神からヤンキースへ移籍した。5年総額2千万ドル(約15億8千万円)の契約に加え、2600万ドル(約20億5千万円)の入札金を費やしながら、07、08年の計16試合で2勝4敗の成績を残し、マイナー暮らしが続く現在も400万ドルの年俸が支払われていると指摘し、キャッシュマンGMの「(獲得は)完全な失敗だった」との談話を紹介した。
  同GMは08、09年に日本の球団から獲得の打診があり、井川と話し合いを持ったが、子どものころからメジャーで投げるのが夢という当人が断ったとし、以降は〝飼い殺し〟の状態が続いていると指摘。ただ、今年で契約が切れるため、大リーグ球界関係者の話として、来季はメジャーの他球団からのオファーが届く可能性もあるとしている。

こっちは『5年総額16億円…キャッシュマンGM「井川獲得は完全な失敗だった」』と題した2年前のディリースポーツの記事である。

 藤川選手の心の中にヤンキースの黒田は居たのか、それとも阪神と何かあったのか知る由も無いが野球人生の今後を秤にかけたのかも知れない。野球人として常に野茂のような終わり方が会ったのかもしれない。でも最近の華々しく米大リーグに飛び込んだ割には、それなりの結果を出せずに日本帰りした選手には抵抗があったのかも知れない。私は打算で動かなかった彼に感動を覚えたが、果たしてそうだったのか今後を注視したい気持ちであるが、清清しさを感じたのは事実である。彼を見守りたい気持ちでいっぱいである。