「STAP細胞」の不正問題の理研はやはり研究者とは言え役人の集団だった

 新型万能細胞「STAP細胞」の論文不正問題が、急展開だ。理化学研究所小保方晴子・研究ユニットリーダー(30)が補完的な論文に続いて主要論文の撤回にも同意した。「白紙」に戻ったSTAP論文の次に待ち受けるのは、関係者らの処分だ。STAP細胞をぶち上げた理研トップらの退陣を求める声も噴出。小保方氏ら研究者には、研究費の返還も予想されている。
 「STAP細胞はあります」と力説した涙の会見から約2カ月。小保方氏が論文撤回に同意した理由について、代理人の三木秀夫弁護士は4日、「理研の検証実験に参加するため、応じざるを得なかった」と説明。「STAP細胞について存在する事実は変わらない」とあらためて主張した。
 「仕方がなかったんです。悲しいです」と無念さを吐露したという小保方氏。科学ジャーナリストの大朏(おおつき)博善氏は、「小保方氏の気持ちは研究を続けたいという一心だろう。検証チームに入る代わりに、論文を撤回するといった理研側との取引があったかどうかは不明だが、論文にこだわっている場合ではないと判断したのではないか」と話す。
 だが、科学の世界では論文と研究は一心同体だ。主要論文の撤回で科学的信用はなくなり、事実上の「白紙」に戻ったといえる。
 東京大の上(かみ)昌広特任教授(医療ガバナンス論)は、「論文の問題はこれで終わったことになる。今後は、研究者と管理者の責任がそれぞれ問われることになるが、管理者としての『経営責任』をうやむやにしてはいけない」と指摘する。
 管理責任が浮上しているのは、理研トップの野依(のより)良治理事長、小保方氏が所属する発生・再生科学総合研究センター(CDB)の竹市雅俊センター長、笹井芳樹副センター長らだ。
 「どんちゃん騒ぎの記者会見は誰の判断で行われたのか。笹井氏は管理職としてふさわしかったのか。小保方氏はなぜ抜擢されたのか。責任問題は山積している。野依、竹市、笹井氏の辞任は避けられないのではないか」と上氏は続ける。
 2012年12月に理研CDBが実施した小保方氏の採用面接では、通常行うはずの英語のヒアリングを省略するなど、“特別扱い”だったことが判明している。
 論文撤回により、研究費の返還問題も議論が進む。STAP細胞の研究費は国民の税金であり、今後、理研側が、研究者個人に返還請求する可能性がある。「研究費が不正に使われたのならば、金を返せというのは当然のこと。どの部分を請求するかはケース・バイ・ケースだが、数千万円に及ぶこともある。理研が補完的な論文である『レター』を撤回したため、調査しないというのはおかしい。『レター』については不正が認定されず、研究費の返還も問われなくなる。理研側はこうした民事的問題についてもしっかり議論しなくてはいけない」と上氏。
 研究費の返還請求がなされれば、小保方氏は「不正」という不名誉に加え、多大な金銭負担を背負うことになる。国民には見えないところで、さまざまな駆け引きがささやかれるSTAP細胞問題。黒幕は誰なのか。上層部の説明責任が、一層強まっている。

これ「小保方さん、論文取り下げで借金危機 笹井氏らも道連れ」と題した産経デジタル6月5日6:05の報道記事である。

 歴史的発見「STAP細胞」の報を受けた時から現在までこの問題を注視して来たが、見れば見るほど、疑念が増したのは確だったが、一方で本当であったくれればと願っていた事も事実であった。丁度1年になるが、無二の親友が転んで、頸椎を打ち半身不随になってしまったからである。この頸椎損傷には、この再生細胞が一番効果的と聞いたからである。一報を聞いた時私は夢中で親友に奔(はし)って行きこの事を知らせた。親友は涙を流して聞き、諦めていた自分に光明を見つけたのである。そしていち早くその臨床実験に協力してもらう、札幌の札幌医大の報を聞き早速連絡を入れたが、残念ながら年齢過多のため条件に合わず断られた事もはっきり覚えている。当時それも五里霧中ながらもその情報を基に必死で探したのである。親友の落胆した顔が今でもはっきり覚えている。そんな不治の病で闘ってる患者の心を打ち砕いてしまった今回の「STAP細胞」不正問題である。そんな患者が巨万(ごまん)と待っているのである。それを彼女らは一瞬の光を閉ざしてしまった。
 思うに私は、小保方さんを初めとする、この「STAP細胞」問題の関係者は、見方を変えれば、我々の血税を搾取したも同然であり、その責任は重い。日本の最先端の研究所としては破格の予算(人材・人員約800名で800億円)をもらい、何をしたかと言えばこの通りである。私たち国民から見れば、余りにも恵まれた研究施設である。思うのはやはりここも、ムダの結晶的役人の集まりであると再認識した次第である。役人根性丸出しの血税を何とも思わない慢性化した、集団である事だけは確かである。