3.11復興の遅れは官の責による?

 3.11大地震から丁度3年である。未だ復興されない地方過疎地の苦悩は計り知れない。これは紛れも無く官の責任である。私はこの復興の遅れを全て官に押し付けるつもりは無いが、それの大半は官の仕業と言って良いと思われる。震災当日から官民の境無く、被災民と化した官と直接の被災民は少なくとも、最低の受益は権利として受け取れる筈であった。災害は最低のルールさえ壊す。災害への一番の補給は衣食住である。衣食はボランティア等の人力作戦でいくらか望めるが、住とそれに付随する物は建設的機動力を欲する。被災地までのライフライン等の整備や他である。が、悪い事に当事、それを担わなければいけなかった時の建設産業は、例の小泉構造改革のお陰で疲弊が最高潮だったために最悪の状態だった。つまり国益に備えるべき体力が無くなってしまっていたと言って良い。これは復興の完全なる足かせとなってしまった。確かに復興の遅れは時の権力者である民主党のお粗末さもあったが、国を挙げての復興機運を増幅させての緊急事態法で出来た筈だった。がしかし、それの発令の遅れにより、大半が現法の規制がバリアとなり、遅々として進まない最大の原因と言える。直接の被災地での官の死に物狂いの対処は難儀に比例せず、殆んどが無と化した。官はこう言う緊急事態にも拘わらず予算主義がもたらした弊害が随所に出た。
 被災より3年も経ったのに当事より手付かずの箇所いくつもある。それの大半は確かに被災民の高齢化や後継者を失った因も因として認めるが、官の復興へのモチベーションの欠落が大半である。つまり官が被災民になりきった対処への意識の欠落である。その証として時の宰相安倍首相の現地の視察で、自治体よりの状況報告のみに徹し、直接の被災民の訴えである言葉を聞かずに、仰々しいSPを引き連れての大名行列に終始した事である。しかも、悪い事に、宮城県産の牡蠣を食って美味いと言って帰った事を見ても明らかである。安倍首相はそれでもまだ長州だから許せるかも知れないが、許せないのが菅官房長官である。如何に国策で多忙中とは言え、直接の被災地と同じ東北人である。現在の政府の実質取り仕切っている政治家としては甚だ不十分である。側用人イエスマンは要らないのである。