お笑い「R-1ぐらんぷり」に審査は必要無い?

 今年も恒例の‘ひとり芸’日本一を決定する「R-1ぐらんぷり」が開催された。過去最多のエントリーとなる3715人の頂点に立ち、賞金500万円を手にしたのは、芸歴17年目のやまもとまさみだ。
 やまもとは、3つのバイトを掛け持ちし、妻子を養う40歳。演技力に定評があり2012年には、映画『踊る!大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』にも出演している。今回の決勝でも、その演技力を活かした芸で笑いを誘い、審査員7名全員と視聴者の投票ポイントを獲得し、完全優勝を果たした。
■ウケても落選!? 審査結果にかみついた芸人が登場!
 その一方で、「R-1ぐらんぷり」の審査基準に激しく‘ブチギレた’芸人がいる。今大会予選3回戦で敗退したお笑い芸人のガリガリガリクソンニートキャラを明るく演じる‘ニート漫談’で、「あらびき団」や「爆笑レッドカーペット」など、人気テレビ番組にも出演経験のあるピン芸人だ。
 ガリガリガリクソンは自身のツイッターで、以下のように今回の結果に怒りをあらわにしている。
「あのウケで何で落ちんねん! R-1なんか2度と出るかヴォケ!!!あのデブの審査員!!!」
「ウケが1番ちゃうんか! お客さんの満足度が1番ちゃうんか! 審査員のためにやってるんちゃうわ! 審査員なんて金払わんとただでみくさりやがって。目ついたろか」
「なんやねん、お笑いってライブちゃうんか!!! こっちはその一瞬に命をかけとるんや!!! 君には努力のあとが見えません。当たり前や!!! ピエロがジャグリングのマメみせてどうするんじゃタコス!」
 プロダクション関係者によると、「この種の予選は、参加人数も多く、審査が長時間に及ぶため、観客もダレてくるのか、途中マイクを倒しただけでも‘笑い’が起こることがある。しかし、ガリガリガリクソンの場合は、ネタで明らかに他の芸人よりもウケていた。その結果も考慮されず、明確な理由もなく、審査員の好みで落とされたとあっては、キレるのも当然でしょう」と擁護的だ。
■“えっ、あんな奴が審査員!?”芸人も呆れる‘審査基準’
 かつての「M-1グランプリ’」、そして「THE MANZAI」、「R-1ぐらんぷり」といった大規模なお笑いコンテストは、無名芸人にとって名前を売るための“ビッグチャンス”。それだけに、その審査結果が彼らの人生を左右しかねない。そんな中、審査基準のあいまいさ、つまるところは審査員の‘笑いのレベル’が常に問題視されているようだ。
 「こうした大会の予選では、番組制作に携わる放送作家や、テレビ関係者が審査員を務めていますが、『えっ! あんな奴が審査するの!?』と驚いたことがある。イベント会場を抑えて芸人を集めてライブを開催する自称“お笑いプロデューサー”が審査をしていて。正直、『審査するほどの力量があるのか?』と…」(芸歴15年のお笑い芸人)。
■たけしも痛烈批判! “審査員は漫才知らない奴ばかり”
 テレビ中継の入る本選、いわゆる“決勝”では、売れっ子芸人やお笑いに携わる有名人が審査員として顔を並べているが、その審査基準にも疑問の声が。
 「最近は、視聴者による投票システムが採用されていますが、この評価が審査員と一致していないケースが多い。今年の『R-1ぐらんぷり』だとスギちゃんが、視聴者ポイントが高かったものの落選。逆にレイザーラモンRGは、視聴者からのポイントは低かっただったものの、審査員の評価が高く、決勝トーナメントへ進出している。視聴者の評価が必ずしも正しいとは言えないが、どうしてその芸の方がポイントが高いのかと、明確に説明できる人がいないので、演者である芸人はもちろん、視聴者も納得がいかない」(放送作家
 “笑い”に真剣に取り組む芸人からすれば、基準のない、あいまいな審査ほど迷惑なことはない。いくら売れている先輩芸人や世間的に成功を収めている有名人による評価といえども、納得できる説明がなければ、全てが無駄の努力で終わってしまうからだ。
 奇しくも「THE MANZAI」で、最高顧問を務める、‘ビートたけし’は、演者である芸人の胸の内を代弁するかのように、「審査員なんてバカ野郎で漫才知らない奴ばかり。知らない奴が並んで…てめぇがやってみろこのやろう」とまで言い放っている。
 次回の「THE MANZAI」や「R-1ぐらんぷり」はどのような審査員が、どんな審査を行うのか注目である。(文責/JAPAN芸能カルチャー研究所)
 
新聞報道である。
 
 お笑いには理屈はいらない。これが私の考えである。これから考えれば、確かにこのガリガリガリクソンとやらの意見は正しいと思う。が、私は、お笑いに対するこの吉本のとは全然違う。この記事から考えるのは、このグランプリ、何の事無い、主催者とした吉本の存在感の見せしめでしか無いからである。要するに現在のお笑いは吉本から始まり、吉本が握っていると言う事を見せ付けるに過ぎないからである。私は以前より言って来たが、本当の笑いと言うものは、終わって帰る途中に思い出してクスリからゲラゲラに代わるくらいの笑いを取れる事と言って来た。そう言う意味に於いては、現在の吉本は、10数年前の吉本新喜劇のような本当の笑いはもう無い。ただメディアに数出て売れれば良いと言うような単純な成果に傾斜してしまっている。それが国民からの反発にもなっている。この戦犯はテレビだけに非ず、その半分以上は視聴率依存のみのスポンサーにもその責任はある。このまま行けば、20~30年前に指摘された、日本国民総白痴化は現実となろう。