脱原発主張の小泉元首相「人間の考えは変わる」と元宰相の会見に不愉快

 小泉純一郎元首相は3日、横浜市で講演し、自身の「脱原発」発言が無責任だと批判を受けていることに対し「大事なのは政治が方針を出すことだ。原発に代わる再生可能エネルギーをどのように導入するか、議論すれば必ずいい案が出る」と反論し、安倍政権に重ねて政策転換を促した。「原発ゼロに向け自分なりに頑張っていく」と主張を続ける決意も示した。
 同時に「私は首相の時は原発推進論者だった。それを批判されているが、人間の考えは変わるものだ」と指摘。明治維新の際に鎖国論者が開国論に転じたケースや、第2次世界大戦後に日本が米国を同盟国としたことを引き合いに出した。
 原発から出る使用済み核燃料などの最終処分場建設は「住民の反対」で不可能だと強調。「東京電力福島第1原発事故の前から処分場は造れなかった。強い指導者が現れても住民の反対を無視して10万年使う処分場ができるのか。造れると考えている方が楽観的で無責任だ」と訴えた。〔共同〕
 
 
これ『脱原発主張の小泉元首相「人間の考えは変わる」』と題した日経11月3日時点での記事である。
 
 
 小泉純一郎元首相は12日午後、日本記者クラブで記者会見し、国の原子力発電政策について「政府は(原発ゼロの)方針を出すことが重要だ」と述べた。原発の代替案については「政治がゼロ方針を出せば、必ず人が良い案を考えてくれる」と指摘。その上で「(代替案を)一政党、一議員で出せるわけがない。専門家の知恵を借り、意見を尊重して進めていくべきだ」との考えを示した。〔日経QUICKニュース(NQN)〕
 

こちらは日経11月12日の報道である。
 

 私は人間本当に急にこう変われるものかと正直ビックリしている。
 確か彼は以前より原発推進者だった筈で、何故急に変わったのか私には良く解らないが、人間主張を変えるのには、色んな理由があるだろし、それが納得されるものであれば依存は無い。がしかし、私は宰相経験者だとするならそれは決して理由はつけられない筈である。何故なら国・政府の責任者としてその原発行政を主導して来たからである。これは政治人(政治家と言いたくない)として変える事の出来ない、看過出来ないゆゆしき問題と私は考える。私的には名声を得て隠居した者の行き着く先の定番(沖縄復帰の功労でノーベル賞を貰った佐藤栄作元首相のように)のようではと思える。
 それはそれで良い。だったらまず最初にやるべきは、国民への侘びが先ではと言いたい。それが政治人(政治家と言いたくない)としての常識では無いのか。
 私が一番憂うのが、政治的に無知な人間が、この会見報道を見て、この小泉純一郎元首相見たいな輩の「脱原発」主張発言者を、ただその言葉だけで賞賛する人間がいる事である。主張するその人間の前後の政治的経歴や政治的主張も考えずにである。またそれを何の惜しげもなく、垂れ流すマスコミもである。
 視点を変えればこんなに変われる人間を初めて見たし、正直私は恥ずかしい。これは原発是非論以前の問題である。そう言えば同じようなのがもう1人宰相経験者で居たな。恥ずかしさが倍になる。