最近の小泉純一郎元首相(76)と小沢一郎自由党代表(76)の「原発ゼロ、脱原発」の連携に不快感

世紀のタッグ
 小泉純一郎元首相(76)小沢一郎自由党代表(76)。激動の平成政治を賑わせた2人の大物が恩讐を越え、四半世紀ぶりに連携を模索している。
 
 小沢事務所関係者が明かす。
 
 「小沢代表が主宰する政治家養成塾『小沢一郎政治塾』のセミナーが7月中旬に都内で開かれ、その講師として小泉氏を招く予定です。15日午後に2時間近く、原発ゼロ実現に向けた政治のあり方を語っていただくことになっています」
 
 小泉政権が続いた2000年代前半、党首討論などで激しく火花を散らした2人が一堂に会すのは、小泉氏が政界引退した09年夏以降では初めてとなる。
 
 今年6月上旬、小沢氏側がある民間人を介して小泉氏側に講演を打診。数日後、元首相自ら受話器を握り、小沢氏側近の川島智太郎衆院議員(自由党事務総長)に「快諾」の返事をした。
 
 小沢氏の元秘書である石川知裕衆院議員は、小沢事務所内部の動きを71日に配信した自身のメルマガで詳細に明かしている。
 
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「石川さん、小泉さんが小沢さんの政治塾で講演をしたら面白いと思いませんか?」
 
編集者のTさん(原文ママ)と会食しているときに、面白いアイデアをいただいた。すぐに私は小沢一郎事務所で元衆議院議員川島智太郎さんと連絡を取った。川島さんから小沢一郎先生に相談し、是非とも小沢一郎政治塾で講演をしてもらうよう小泉事務所に連絡を取ったらどうか、とアドバイスさせていただいた。
 
小泉さんが受けてくれるかなと心配していたが、すぐに小泉純一郎氏も快諾。編集者のTさんによると、脱原発関連の講演であれば小泉氏は引き受けてくれるという。715日の小沢一郎政治塾小泉純一郎氏が講演することが決まったわけだが、敵味方に分かれて闘ってきた両者が手を握るのも面白い。
 
(以上、まぐまぐメールマガジン「石川ともひろの汚名返上! 第三章」第310号より引用)
 
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 小泉氏の快諾後、両事務所は「極秘」で動き、厳重な箝口令を敷いていた。この手の話は早くに漏れると破談になりかねないし、国会の動き次第では「世紀のタッグ」の誕生が、他のニュースで埋没してしまうことを警戒したためでもある。
 
 小沢氏側では小沢塾の生徒にセミナーの案内状を出すタイミングを開催直前の〈75日〉に設定。報道陣への発表も、同じ頃に行う予定で準備を進めていた。
 
 ところが、627日、朝日新聞の記者数人が小泉氏に接触。「極秘情報」を事前にキャッチした政治部記者らが真偽を確認したところ、小泉氏が事実を認めた。
 
意外な共通点
 〈小泉氏・小沢氏、30年ぶり協調 原発ゼロ目指し訴え〉
 
 629日付の朝日新聞朝刊でこんな見出しが大きく掲載された。小沢氏側は急きょ同日夕方に記者団の取材に応じ、次のように説明した。
 
 「小泉さんは原発ゼロ、脱原発ということを最近ずっと言い続けています。その点について、私も共有できる考え方ですので、政治塾に来てもらって講演で話していただくのは結構なことだと思いました。(中略)小泉さんは全国的にも講演しているようだし、新潟県知事選でも(県内に別件で)講演に来た時、わざわざ(野党系)候補者に会って激励してくれた。
 
 私自身も国民の生活と生命にかかわることなので、原発については新しいエネルギーに転換していくために原発ゼロを国策として決定し、推進していかなくてはいけないだろうと思っている」
 
 新聞では「ライバル」と報じられてきた小泉氏と小沢氏だが、実は共通点が少なくない。同じ1942年に生まれ、ともに自民党藤山派に属した父を持ち、慶大経済学部で学んでいる。さらに、20代で父の死を受け、69年の衆院選に初出馬した――という共通項もあるが、同じ「弔い合戦」の状況でありながら、小沢氏は当選し、小泉氏は落選した。
 
 その後、小泉氏は72年の衆院選で初当選。小沢氏は田中派、小泉氏は福田派に分かれ、角福戦争の最中には両陣営のホープとして、水面下で鍔迫り合いを演じた。
 
 そんな2人が急接近したのは89年。小沢氏が47歳の若さで自民党幹事長に抜擢された際、1期後輩の小泉氏は党全国組織委員長に就任。上司と部下のような関係になり、二人三脚で地方組織を回った当時を、小泉氏は今年2月に出した回想録にこう綴っている。
 
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「私は小沢幹事長と一緒に全国を飛び回りました。都道府県連の幹事長と昼は会議やって、夜は宴会です。組織委員長は幹事長の部下だから、私は小沢さんの酒にとことんつき合いました。いま思えば、小沢さんはおもしろかった。つき合いやすかったです」(集英社新書『決断のとき』第三章より)
 
激震が起こる可能性
 2人を取材してきたノンフィクションライターの常井健一氏はこう解説する。
 
 「小泉氏の『決断のとき』には、竹下内閣時代に小泉氏が国対筆頭副委員長、小沢氏が内閣官房副長官として連携し、消費税法案を可決させるに至った思い出や、93年に小沢氏が自民党を飛び出し、細川護熙氏を首相に担ぐ直前に小泉氏も『細川首班』で自民党をまとめようとした秘話なども描かれています。小泉氏の『筆』には一貫して〈小沢氏に対するリスペクト〉が込められていました。
 
 今回、小沢氏からの突然のオファーに対し、小泉氏が決断したのは611日。つまり、新潟県知事選で原発ゼロを訴えた野党系候補が惜敗した翌日でした。週末の投開票日をはさみ、開票結果などを踏まえた上で小沢塾への登場を決めたということです。
 
 以前、私が原発ゼロ運動における〈小沢氏との連携〉について尋ねると、小泉氏は『別々にやったほうがいい。私の支持者には小沢アレルギーがある。小沢を支持する人には小泉アレルギーがある。プラスになるとは限らない』と語り、『自民党を変えるほうが早い』と話していました。
 
 ところが、原発推進を掲げる安倍晋三首相への説得を諦めた小泉氏は今年に入り、原発ゼロ法案の草案を作成し、野党と連携する戦術にシフトしています。
 
 今年1月には、同法案にかんする意見交換を求めてきた共産党志位和夫委員長と小池晃書記局長を行きつけのお店に招いて会食しながら懇談。5月には福島県会津若松で開かれた渡部恒三・元衆院副議長の誕生会で講演するなど、原発ゼロを訴える機会があれば、かつての政敵であっても厭わずに接触を続けています」
 
 政界ではこの動きはどうみられているのか。ある野党幹部はこのように語る。
 
 「近年の小沢氏は自由党山本太郎氏を抱え、共産党社民党に秋波を送り、立憲民主党枝野幸男代表と接触を重ねるなど、リベラルにウイングを広げる一方、保守系が多い国民民主党岡田克也氏が率いる『無所属の会』との距離が生まれている。小沢氏がかつてのような剛腕を発揮し、野党再編の接着剤となるような流れはありえないでしょう。
 
 小泉氏も4月にテレビカメラを前に『安倍三選はない』と公言した上、新潟県知事選でも敗れた野党陣営に肩入れしすぎたため、安倍氏9月の自民党総裁選で三選となれば、自民党内でも急速に影響力を失うに違いありません」
 
 しかし、こうも続けた。
 
 「ただ、小泉氏の決断次第では政界に激震が起こるでしょう」
 
 小沢氏も前掲の記者会見で、小泉氏についてこう語った。
 
 「小泉さんが我々と歩みをともにしてくれるかどうかは、小泉さん自身の判断に関わることだから、今後どういう展開になるかは小泉さんにお聞きしなければならない」
 
 朝日新聞が第一報を「抜いた」ためか、後追い取材を嫌うマスコミ各社の反応はイマイチで、続報は意外に少ない。だが、「世紀のタッグ」が報じられた直後、2人の周辺には自民党を含む実力者からのエールが相次いだ。
 
 小泉氏は周囲に「講演当日まで小沢氏には会わない」と語っているが、かつて大政局を仕掛けた2人の行動からは目が離せない。小泉氏の「決断のとき」は、まもなくやってくる。現代ビジネス編集部
 
 
これ『小泉と小沢…二人の重鎮が一気に仕掛ける「夏の大政局」』と題した現代ビジネス7/4() 7:00の配信記事である。
 
 
私は小沢一郎が昭和60 12月の中曽根第2次改造内閣で約半年間自治大臣国家公安委員長として初入閣した時からの彼の大ファンで、以来自由党党首の現在も小沢一郎自由党党員であり、メルマガも愛読してる状況である。私は現在までの彼の行動は全て理解してる。崇拝してるといった方が早い。だが今回の小泉純一郎元首相との「原発ゼロ、脱原発」の連携には大反対である。私の大嫌いな小泉純一郎元首相との連携だから反対してる訳ではない。今になって「原発ゼロ、脱原発」と言い出した事がである。いくら時代背景が変わったからと言って、政権時代に政治家として自ずから推進した原発である。政権の表舞台から降りたからと言って、当時推進した原発政策を過去を顧みず今になって国民受けの何が「原発ゼロ、脱原発」だ!と私は言いたい! どうしてもそうしたいのなら、まず、国民に今までの原発政策を詫びてからすべきと言いたい!
私は生粋の原発推進派ではない。福島原発事故以来脱原発と言うよりも、忘れていて捨てていた自然エネルギーへの転換派と言った方が早いかも知れない。でも100%事故を起こさない(事故が起きない)確率が0であるなら効率の良い原発は魅力だという事である。現実的に現在と未来における電力依存度が増す今後には原発の選択肢は残しておきたいと思っては居る。