菅氏を支えた元首相秘書官によると、菅氏は在任時、口癖のように度々こう語っていたという。
「俺は歴史に名を残したいんだ」
その夢はかなったというわけだ。菅氏は今や歴史上の人物として高校生が学ぶ対象となった。目指すべき手本としてではなく、反面教師としてかもしれないが。
中曽根康弘元首相が繰り返し指摘してきた通り、「政治家は歴史法廷の被告」であるし、国のトップたる首相であればなおさら国民の視線は厳しいのも当然だろう。
にもかかわらず、肝心の菅氏にその自覚も潔さも反省も一切みられないのが残念でならない。党改革創生本部の会合には可能な限り出席し、「自身に対する直接的な批判が『総括』に盛り込まれないよう目を光らせていた」(党幹部)という。
そこには、「歴史法廷の被告だ」という覚悟はうかがえない。むしろ、民主党内から聞こえてくるのはこんな話ばかりだ。
実際、菅氏は自身のブログで何度も最新省エネ技術を駆使した新居について、こんなふうに取り上げている。
「新居のエネルギー自給ができるかどうかは少しデータが蓄積されないとはっきりしないが、二重ガラス窓の断熱効果は顕著だ」(2月25日付)
「エコ住宅の我が家を『エコカンハウス』と呼ぶことにし、時折エコカンハウス報告を載せるつもりだ」(3月3日付)
確かに、自分のお金を何に使おうと家を建てようと自由だし、うれしいのは理解できるが、少しはしゃぎすぎではないか。
首相退陣後の菅氏は、事故の最高責任者として被災地を回るのではなく、個人的趣味の四国霊場八十八カ所巡りを再開した。結局、国民や被災者よりも、自分探しの旅の方が大切なのだろう。菅氏自慢の「エコカンハウス」の「エコ」は、「エゴ」の間違いなのではないかとすら感じる。
「鳩山由紀夫元首相と菅氏の名前は、できるなら日本の政治史から抹消したい」
政治評論家の屋山太郎氏はこう語る。だが、その名は、ある意味で長く語り継がれることになりそうだ。(阿比留 瑠比)
産経の報道だ。
菅さんは史上稀に見る最低の総理だった。
悲しいのは本人にその自覚が無い事である。
本人は常々「史上に名を残したい」との望みは並大抵でなかったが、十分にその名は残った。そう「稀に見るとんでもなく最低の総理と」。