今年創業100年を迎えるシャープは、電機メーカーの中でも旺盛なベンチャー精神が売りだった。2004年、三重県の亀山工場で量産が開始された液晶テレビ、通称「亀山モデル」は当時、苦境に立たされていた製造業・日本の数少ない成功例としてもてはやされた。
同社の経営資源を液晶に集中させ、復活の道筋をつけた町田勝彦社長(当時、現相談役)は“第二の中興の祖”と呼ばれ、町田氏の著書『オンリーワンは創意である』を、日本の製造業復活の手引書と評する声もあったほどだ。
その栄光からわずか10年足らず、日本の製造業のトップランナーと目されていた同社は今、存亡の危機にある。
昨年度から台湾のホンハイ精密工業を筆頭に、米半導体大手のクアルコム、インテルなどからの出資話が相次いでいるシャープは3月6日、今や世界一の電機メーカーとなった韓国サムスンから103億円出資(発行済み株式の約3%)を受け入れると発表した。
いったい誰が、シャープを危機に追いやってしまったのか。その“犯人”を示唆する興味深い発言がある。
「シャープが第二工場を、国内(亀山)でなく中国に建てていたら、サムスンに液晶で敗れることはなかっただろう」
シャープが2000億円を投じた亀山第二工場が稼働を始めたのは06年だが、これを海外に建てていれば、シャープは液晶の価格決定権を握り続けただろう、というのだ。
当時、日本メーカーはすでに中国、韓国メーカーと戦うだけの競争力を失い、安価な労働力を求めて海外進出を本格化させていたが、経産省は様々な優遇措置を講じて日本企業の製造拠点の海外流出を食い止め、国内に留めようと画策した。
その最たるものが、シャープの第一工場建設を後押しするかのように、02年に国会を通過させ、経産省内でも“シャープ税制”と揶揄された特別税制だ。
ところが、当時の豊田正和商務情報政策局局長は、「国内の雇用をどうやって守るのか。日本の技術をどうやって守るのか」とそれらを一蹴した。
しかし今、経産省はそうした過去の失敗を糊塗するかのように、シャープの“救済”に動いている。
その根回しは、経産省幹部たちが、自民党が再び政権に復帰することを見越した昨年の安倍政権誕生前から始まっていた。大胆な金融緩和とともに、「日本の製造業復活」を掲げる安倍晋三政権は、“シャープ救済”をその象徴とする腹積もりである。
それは、経産省幹部――後に安倍政権の中枢に入る今井尚哉資源エネルギー庁次長(当時、現政務秘書官)、柳瀬唯夫経済産業政策局審議官(当時、現事務秘書官)が、安倍自民党総裁(当時、現首相)だけでなく自民党の茂木敏充氏(現経産相)、安倍の側近である甘利明政調会長(当時、現経済財政政策担当大臣)といった現政権の中枢に繰り返し説明を行い、“刷り込んで”いった結果と考えられる。
そして、その救済の“ウルトラC”が、昨年12月31日付、日経新聞の一面に大々的に掲載された「産業競争力強化法」(仮称)である。その要諦は、「民間リース会社と共同出資で官民共同会社の特別目的会社をつくり、製造業者が維持費、固定費に苦しんでいる工場や設備を買い入れる」もので、その但し書きには何と「“半導体、液晶パネル”を作る企業」と書かれているのだ。
「亀山モデル」は頓挫し、約3000人の社員が会社を去った。最新鋭の設備を誇る堺ディスプレイ工場(SDP)は、ホンハイ精密工業の出資である。10年間、経産省に翻弄され続けたシャープ再生の道筋は杳(よう)としてみえず、混迷は深まるばかりだ。
これはPRESIDENT Online の記事である。