野田佳彦自民党総裁なら良かったとしたフリーライター宮島理氏に反論

 
提言型ニュースサイトBLOGOSに掲載された記事である。紹介したい。
 

 今、有権者の多くはこう考えているのではないか。野田首相が続投で、アマチュアだらけの民主党議員を追い出し、首相を支える与党が自民党議員並みのプロ集団になればいいのに――。
 私自身、安倍氏よりは野田氏の方が、首相にふさわしいと考えている。もちろん、政策的に支持できないところも少なくないが、政策を前に進める力はちゃんと持っている。また、老獪さや胆力という点でも、野田氏の方が優れているように思う。
 問題は、野田首相を支える民主党議員のお粗末さである。首相経験者を含め、口先だけでマスメディア受けの良さそうなことを言う議員ばかりが目立つ。
 マスメディアはマスメディアで、そうした口先議員を「方向性は間違っていない」「問題提起をしたことは良かった」などと甘やかすものだから、ますます調子に乗る。方法論を欠いた薄っぺらい政策提言が、民主党政権の混乱を生んだ元凶だと言うのに、そのことをまったく理解していない。
 その結果、口先議員ばかりが幅を利かせ、政策を地道に進める議員がいなくなる。口先議員とマスメディアが騒ぐだけで、現実は何も動かず、官僚が尻ぬぐいをする。すると、その官僚の尻ぬぐいに対しても、「官僚支配だ」などと甘ったれた官僚叩きをし、口先議員はさらに自己満足を強めていく……この悪循環が、政権交代してから最初の2年間に起きたことだった。
 野田首相は、そうした甘えを排したという意味で、政権交代以降、ようやくまともな政治を行った人物である。自民党政権時代なら当たり前のことだが、その当たり前を行うことが実は難しい。
 この当たり前の基盤の上で、二大政党制というものは初めて機能する。ただ、現状では政界に悪しきアマチュアリズムが横行し、「反自民」だの「反官僚」といった子供じみた思考をする議員が多く存在している。まだまだ時間はかかるだろうが、そうした議員が早くいなくなって、政策および政策遂行能力の優劣・選好を有権者が比較評価できる時代が来ることを切望する。
 政権交代の悲劇は、有権者は政策本位で選んだのに、肝心の民主党議員の多くがただのアマチュアだったということだろう。今度の選挙では、(情けない話だが)政策以前の問題として、プロかアマかが厳しく問われることになる。
 そう考えると、アマチュアが多い民主党議席が減り、プロが多い自民党議席が増えるという事前予測は当然と言える(第3極の伸び悩みも、アマチュアにはもうウンザリという有権者の心情)。ただ、それで安倍首相が誕生するということになると、有権者の多くが複雑な気持ちになるのも自然な反応だと思う。だからこそ、20年前に自民党がもっとオープンな政党で、野田青年が日本新党ではなく自民党に入り、自民党総裁になっていたならば(あるいは経験を積んだ上で政界再編を起こしていたならば)――ついつい、そんな妄想を抱いてしまうのである。
 
以上である。
 
 
フリーライター宮島理(みやじま ただし)氏のプロフィール
 
宮島 理(みやじま ただし)
1975年生まれ。山形出身の大阪育ち。現在は関東在住。
大阪教育大学教育学部附属高等学校天王寺校舎卒業。
東京理科大学理学部第1部物理学科中退後、IT系企業設立を経て1996年、フリーライターに。
 
 
 

 私から見ればこの方はやはり自民党回帰者だ。
 
 理由として色々語ってはいるが、要するに政権交代した未熟者に委ねた事を悔やんでいると言う事なのだろう。でも私は違う。誰でも最初から全てやれるのは居ない。例えが悪いかも知れないが、処女が女の味を知って、テクニシャンとなるのに似てるものではないのかと私は思っている。それまで待つ器量も必要と私は思う。
 
 また異論を唱えるにはもう1つある。それはとうの昔からの私の持論でもあるが、政治家の程度が低く、行政のトップ官僚に対抗出来無い質の悪さである。それを意識改良に勤しむ気も持たず、逆にその官僚におんぶに抱っこの常態を是とした考え、良く言えば官僚を上手く使えと言う方々の考えがこの宮島さんたちの考えであろうと思う。予算でもそうである。簡単に言えば、歳出を良く精査しないで、今の状態を是とし、とにかく歳入しか考えない輩(と言わせて貰う、だからこそ歳入増しか頭に無い人種)なのである。どだい出発点が違うのである。何事にもそつの無い官僚・役人のレールに沿えば自民党みたいになるのである。野球で言えば、息詰まる投手戦である。だが点数も入らない試合である。これが官僚・役人の姿なのである。面白みの無い堅実経営とでも言えるかもしれないが、その通りやって来た経営者自民党の結果が、800兆円を越える借金だったのである。そこを学者や識者やメディアは解かって来なかった。これこそ、今の閉塞された社会なのではないのかと私は言いたいのである。だからこそこの閉塞感を打破するには、自民党では駄目なのである。今の霞ヶ関の中央集権を打破し地方にその権利を、移譲するしか道は無いのである。さむなくは、その霞ヶ関の行政手法にどっぷり染まった、官僚・役人を全てクビにし、気骨のある、役人として常識の持った人間と新しい人材を登用し、政治家が主導してこそ本当の国家経営ではと私は思っている。そのためには、我々国民もそれが軌道にのるまでその間の停滞は甘受しなくてはならないのである。