民主党の失敗(その2)

民主党の失敗(その1)よりの続き
 
 それまでの自民党政治は、形の上では「政治主導」となっているように見られるが、これこそ「官僚主導」の最たるものである。それは何故か、官僚が政治家を立てるように仕組まれていたからである。何でも政治家が何かを一言発せば、官がそれに気付き裏づけ、何事にもいとわず、全てを共有し合い、アウンの呼吸で官がすべて政治家がやったようにしてくれていたのである。常に政治家が官僚に相談し、進めていたのである。その代わり、官の嫌がる事は政治家は一切せず、官の喜ぶ事しかしなかった。だからこそ官は自民党には絶対服従のように見えるのである。外交・内政共に官のやる事、絶対と言って良いほど失政・失敗は無いのである。例えあっても、全国全ての官が不味い事は表に出る前に握りつぶしていたからこそ、自民党の政治家の政策上の失敗は無かったのである。これ等政治が官に気を遣っている証でもあるのだ。
 政権交代により政権を引き継いだ民主党は、前記のようにそれを打破するために、「政治主導」を表に出すために、「官僚主導」を排除してしまった。とすれば当然官は反発するし、実際反発した。だからこそ次々に政策の上程時からのプロセスがズタズタになった。と言うより、官にされてしまったのである。それが顕著に現れたのが、鳩山首相が政治を賭けた「普天間基地移設問題」であった訳である。逆説すれば官のイジメに合ったようなものである。常に官に相談していた政策が「政治主導」の名の下に、官からすれば一方的に主導権をとられれば、反発するのは自然の理である。以後の民主党が政権のダッジロールしたようになった訳は、私はそのように理解している。
 これが何故そのようになったのかと言えば、一番の原因は、民主党政権公約いわゆる「マニフェスト」を主導した当事の小沢一郎党首が、鳩山党首と幹事長で行政と党運営を分離した事による。それを鳩山首相が自由に首相として仕切りたいがため、小沢一郎幹事長に主導されるのを嫌った事による。それが第一の失敗であった。鳩山党首が真の「政治主導」を理解してなかった事による。逆に小沢幹事長は、行政側でてっきり「政治主導」をやってもらえると思っていた。この差が迷走の全ての原因だ。以来官は全員ソッポを向いてしまった。やれるものならやったらと言う感じだったろう。「お手並み拝見」と言う事だったのだろう。ところが、鳩山首相小沢幹事長、行政と党の要のツートップが辞め後を引き継いだ菅首相がこれがまた最悪だった。鳩山の後であり、そう言う状態で引き継いだ菅首相も不運だったが、それらをはね返す能力に欠けていた菅首相菅首相だ。官に良いようにあしらわれたと同じである。悪い事は重なるものである。考えられない未曾有の東日本大震災が起きてしまった。ここからはもう政策を何とか何て言うよりこの大震災の処理に殆んどを費やさざるを得なかった。菅首相の手腕がどうのの次元の問題ではなくなっていた。もう少し真の「政治主導」がやれてたら事態はかなり好転してたと思われる。「原発問題」で失敗した菅首相に代わり、首相になった野田さんは、小沢一郎と政治の舞台で常に陰となり日向となっていた側近中の側近の藤井裕久政府税制調査会長が小沢との確執が表面化するや、菅首相の後を引き継ぐ形で、政治の師(野田首相の話)として、消費増税を指南して来た。正に財務省の代理としてである。
 この過程で1つ不可解な事がある。それは小沢党首の時に策定した、いわゆる政権交代時のあの「マニフェスト」である。今にして思えば、小沢党首主導で策定したのだろうが、何で後から鉄砲打つようにこの「マニフェスト」を反故にしたのか、不満だったら何故その時に言わなかったのか。全てを出来無いからこの際小沢にやらせたらとでも思ったのか。しかし、この「マニフェスト」に国民は喝采した。反小沢連合は予想が狂ってしまった。よもや国民がこれに喰らいつくとは思っていなかったと見える。だからその綻びが出るまで静観してたとすれば余りにも不純でずるいし、政治に身を置くものとしてはもってのほかである。そしてこの「マニフェスト」を中心にして、民主党と言う政党は常に党内に敵を持ち、その敵に終生揺さぶられ続けられた不思議な政党と言える。
 結論的に申せば、少なくても国民に喝采を浴びたその「マニフェスト」を策定した当事者小沢一郎本人に政権を担ってもらい、その「マニフェスト」を実現してもらいたかった思いが残るし、自民党でもやらなかった党内の敵による仕業により翻弄された民主党に悔いが残ると今でも私は思っている。
 最後に文中の敬称を省略した事を詫びたいと思っているが、リアリティーを出すための処置としてお許し願いたい。