私はこの報道を聞き、耳を疑い、開いた口が塞がらなかった。呆れてと言った方が良いのかも知れない。ニュースで見る限り、本人はこの自由主義社会での矜持と胸を張ってる見たいだが、団塊の世代の1人としての世代のズレを感じた。
次に記したのが、その長尾敬議員の「衆議院解散・・・民主党離党にあたって」と題したブログでの言い訳である。ので紹介したい。
次に記したのが、その長尾敬議員の「衆議院解散・・・民主党離党にあたって」と題したブログでの言い訳である。ので紹介したい。
突然だ、唐突だ、と思われ「寝返りかっ!!!」というご批判は承知しております。同時に、民主党が今後「中道路線」を進む中で、主義主張・根っ子の違う長尾たかしが、これまでにどのような考えを党内で議論し、皆さんに発信したかをご理解頂いている方々は、「なるほど」と思われるかもしれません。
いろいろなご意見があり今後積極的に耳を傾けて参りたいと思います。
党内で実現出来たこと、党内でどうしても相反し共有出来なかったこと。その象徴的なことは、外交安全保障関連でした。
社会保障関連については、この三年間、民・自・公で合意した社会保障と税の一体改革関連法に象徴されるように、与野党協議の中で、何とか進みました。前政権下においてやれなかったこと、軌道修正できたこと。与野党合意の下で、相当割合是正出来たと思います。
しかし、外交安全保障真逆でした。10年前私が民主党を選んだ理由は、55年体制の中で、防衛をアメリカに委ね過ぎ、引き換えに経済という側面で我が国を切り売りしてきた自民党政権に対する疑問でした。
では、民主党はどうだったのか?右から左まで良くも悪くも幅がありスタンスが決まらない。でも、若い政党でしたから私はこれからコンセンサスを得ていく可能性はあるのではないかと思っていました。
また、私の専門分野は社会保障ですので、当時、高齢社会に突入したことを受けて、制度のあるべき姿については民主党が優れていると思いました。選挙直前は、年金問題が特にクローズアップされといる時でした。
しかし、党内で議論する中で、外交安全保障はご覧のとおり、社会保障については、負担と給付の両輪議論ではなく、給付ばかりに焦点が集まる。私の考えと増々隔たりが大きくなっていきました。
他、外国人地方参政、夫婦別姓、人権委員会設置法案、TPP、領土等、そして、決定打は、天皇、皇室、憲法改正に関する議論でした。※これらは以前ブログで記したのでそちらをご参照下さい。
「ここにわたしはいても良いのだろうか?」という疑問が、いつも心の中を占めていました。議論をしてコンセンサスを得ることが出来ると思っていた、でも、平行線、いや、敵対関係。孤立しました。
いつも孤独でした。
離党は「出て行ってやる」ということではなく、「ここにいてははならない」という感情が素直なところです。資本主義、自由主義、社会主義、共産主義等、アナーキストは困りますが、いろいろな政治主義の概念があるということは「尊いこと」だと思います。私はその存在を否定するほど傲慢な人間ではありません。それぞれの考えがあるそれをぶつけあう、議論する、結果を出す。これが民主主義です。
そして、私は自身の信条に照らし合わせて、「これから民主党が目指す方向は間違っている、国益に反する」と判断をしました。その政党で選挙を戦わせて頂くことはあってはなりません。
私の主義主張は一貫して今までも、これからも変わりません。そのステージを移る決断をしました、それが離党です。ここは私が踊ってはならない舞台なのです。
それでも、そんな長尾たかしを10年間も懐深くお育てを頂いた。常任委員会、特別委員会でも理事を拝命、幹事長補佐、政調会長補佐、WT役員等、特に歴史的な議論となった厚生労働委員会、社会保障と税の一体改革特別委員会に抜擢頂き、一年生議員にも関わらず、素晴らしい舞台を頂きました。本会議壇上で演説もさせて頂きました。
私自身人間が未完成なもので、党に対する満足感よりも不満感の方が多く不足の思いばかりでした。しかし、一昨日夜、離党届を書きながら、民主党には感謝の気持ちで一杯であるという気持ちになりました。素直に感謝の気持ちを込めて離党届を書かせて頂きました。次のステージ、今後の方向性はメディアで少々触れたとおりですが、正式に決まっていることはまだありません。
民主党をきっかけにご縁を頂いた全ての皆さん、本当にありがとうございました。
今日これを提出します。悔いはありません。充実した衆議院議員一期目でした。
以上です。
私は例え政治信条に違いがあろうとも、この方は選挙民の代議員であった筈である。少なくとも今現在までは選挙民への裏切りであり、選挙民への不義理であると私は思う。解散されて新しいスタート台だから、この方は白紙に戻ったと思われた見たいだが、人間の感情はそうは行かないのである。だったら、本人自身が、民主党では政治信条が違って来たと思った時点で、議員辞職か他のアクションを起こすべきだったと私は思う。私から見れば、議員任期か解散を意識して選び、凋落の激しい民主党に見切りをつけたとしか思えないのである。このブログはその正当性の言い訳に過ぎない。聞けば彼は昭和37年生まれの49歳もうすぐ50である。政治に身を置く(こんな輩を政治家とは言いたくない)者としては、これから国を委ねる中心的存在である。民主の前原さん、自民の世耕さん、山本一太さんたちもほぼ同じ世代である。この方々たちは、これからの人たちであるが、我々戦後に教育を受けた復興期を支えたと自負する団塊の世代とは、考え方が違っていると見える。どうも私にはそこのところが違うのかとも思えるのである。しかし、世代は違っても、受けた常識に違いは無いと思うのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。