ローカル紙のコラムの紹介

今朝新聞を読んでたら目に入った記事がありました。私共のところのローカル紙です。
 読んで見ると、なるほどと思われましたので紹介します。

作家 石川好の眼と芽「政治家の言葉力」

政治家とは、それが国政であれ地方であれ、主権者である国民に選挙で選ばれた権力の代琿人である。
 彼らの仕事は、国民に代わって法律を作り、税を集め、その上で、その税の配分を決める権限を国民を代表し行使することだ。これが政治家の過不足ない定義かと思われる。
 ではへ政治家は、その権力を何を武器にして行使するのか。政治家の仕事場が議会であるように、彼らにとっての武器は議論する力である。言葉の力こそ、政治家が常日ごろから鍛えておかねばならない武器であり、能力なのである。
 議会制民主主義の発祥地である英国では、議会のことをパーラメントと言うように、これは「議論をする場」の意味であることがそれを証明する。
 オバマ米大統領が絶大な支持を集めるのは、何を置いても彼の言葉力にその理由がある。彼はたぐいまれな演説能力で大統領選挙を勝ち抜いたのであった。
 そこで、日本の政治家の言葉力について書いておきたい。過日、東国原宮崎県知事が、自民党から衆議院選挙への出馬を要請されたとき、「総裁候補にするなら」という条件を出した。この物言いが大きな議論を呼び、同知事は例によってメディアに引っ張りだこの曰が続いている。
 情けないのは、自民党幹部たちの言葉力の貧弱さである。というよりも、自民党の幹部たちに、政治家が本来待つべき言葉力が備わっていたなら、東国原知事がここまで有頂天になるこ とはなかったはずだ。
  ではそのとき、占賀誠選 対委員長は、東国原知事にどのように言うべきだったのか。私の考える政治家の言葉力の一例として以下、記しておく。
 「自民党から出馬する条件は、先生が党の総裁候補になることだとおっしゃったUそれなら大歓迎です。なぜなら政治家を志す者 は、いつの曰にか党の総裁になり、そして議会で首班指名を受け、晴れて口本国の首相になる。このことを夢見てわれわれ政治家は努力しているからです。
  わが党にも800名近い政治家がいつの曰にか自民党の総裁候補たらんと日夜努力しております。東国原先生におかれても、自民党から立候補され、当選したあかつきには、3OO名もの同志と共に総裁候補の一人として、次は総裁選に出馬いただきたい。先生の意欲ど才能なら大いにチャンスがありますので」
古賀氏は、以上のように言うべきだったのだ。すなわち自民党から出馬し選挙に当選すれば、誰もが自民党の総裁候補になれるのである。さあ、あなたを認めますから自民党に入党してください、と。
  このように言われたら東国原知事は、どう答えるのか。彼は逃げられなくなってしまうのではないか。そこまで言われて、自民党から出馬しないのであれば、彼は単に自分の名を売るためのパフォーマンスをしていたにすぎないし、本気でそんな一」とを言うつもりもなかった証明になる。
  それに、そこまで言われて自民党から出馬しないのであれば、東国原知事は勇気のない、ズルい男だというレッテルを張られるであろう。このように自民党の政治家の言葉力が弱いせいで、東国原知事はメディア界のスターになっているのである。
  海千山千の人間を相手にするには、言葉力を鍛えて臨むしか勝利はない。古賀氏と東国原知事が「立候補で事実上合意した」という見方も一部にはあるようだが、仮に東国原知事が出馬を決めたとしても、自民党は言葉力に弱いというイメージを払拭するのは難しいだろう。
(作家) 毎月第2、第4曰曜曰に掲載
以上です。