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加計(かけ)学園疑惑で、野党の追及をこんな官僚答弁で乗り切った柳瀬唯夫(ただお)元首相秘書官が2月1日付で、NTT系企業の社外取締役に就任していたことが明らかになった。
政権内での柳瀬氏の評判はすこぶるよいという。「記憶の限り」というフレーズを連発し、見事に野党の追及を封じた。後に加計学園関係者と会っていたことがわかっても、「聞かれなかったから答えなかった」と危なげなくかわした。
森友学園疑惑で公文書改竄(かいざん)の指示をして政権にダメージを与えた佐川宣寿(のぶひさ)元国税庁長官と違い、巧みな官僚答弁で安倍首相を守りきった官僚として、柳瀬氏が「よい仕事をした」と官邸関係者から褒められるのもよくわかる。
それだけに安倍政権にすれば、首相をスキャンダルから守り、忠勤に励んでくれた柳瀬氏をきっちり処遇しないわけにはいかない。そうしなければ、霞が関官僚たちの忠誠心も揺らぎかねない。本来なら、官邸は柳瀬氏を経産省次官に起用して報いたいという気持ちがあったはずだ。
だが、現役官僚のままでいると、国会で野党の再追及を受けかねない。そこで柳瀬氏に経産省を辞めさせ、民間ポストで処遇することにしたのだろう。民間人であれば、証人喚問以外は国会招致を拒否できる。
独立行政法人のトップなら格式は高いし、民間企業とはいえ顧問なら役員室や秘書、専用車などが提供される。給与も2000万円超と高額だ。しかし、社外取締役ではそんな高給は難しい。せいぜい500万円から1000万円程度だ。
ただ、退任後もマスコミに追及されるリスクがある柳瀬氏にとっては都合のよいポストではある。業務は月1回程度の取締役会に顔を出すくらいで、マスコミとの接触機会も減る。官邸もそれがわかっていて、まずは社外取締役などのポストをアレンジしたのだろう。
とはいえ、次官級審議官だった柳瀬氏の給与は2300万円前後だったはず。その給与水準を保証するには2社では足りない。最低でももう1社、社外取締役ポストをあてがいたいところだ。
となると、近いうちに「柳瀬氏、3社目の社外取締役に就任」というニュースが流れるかもしれない。そうして2、3年ほとぼりを冷ました後で、柳瀬氏は独立行政法人の理事長や大企業の常勤役員など、格の高い天下りポストに就くのではないか?
第三者的な立場で取締役会を監督し、企業ガバナンスの強化に寄与するのが社外取締役の役目だ。しかし、柳瀬氏のような問題官僚の天下りケースが増えると、社外取締役導入で企業ガバナンスを強め、成長力を高めようという企業の努力に水を差しかねない。社外取締役を天下りポストと見なす政官界の昨今の風潮は極めて危険だ。
●古賀茂明(こが・しげあき)1955年生まれ、長崎県出身。経済産業省の元官僚。霞が関の改革派のリーダーだったが、民主党政権と対立して11年に退官。『日本中枢の狂謀』(講談社)など著書多数。ウェブサイト『DMMオンラインサロン』にて動画「古賀茂明の時事・政策リテラシー向上ゼミ」を配信中
さすが古賀さんである、良いとこ突く。確かに責任があってないような玉虫色的役職である。監査役一人のところならいざ知らず、大企業の社外取締役である。昔なら社外が付かなければ本流レースの脱落者の指定椅子の筈だ。殆ど仕事と言う仕事は無い。うってつけの筈だが、問題を起こさなければ、古賀さんが言うように、柳瀬さんには失礼なポストだったろうと思う。
もう10年にもなろうか、拙ブログで官僚の天下りの真実を私は書いた事がある。ここでもう一度おさらいに紹介すれば、50年ほど前の大学浪人中の昭和41年頃に予備校に通いながら私はお歳暮の配達のアルバイトしてて、配達先が当時の霞が関官僚の係長(当時の肩書)さんの自宅だった。暮れも押し迫った寒い日だったから、配達した折にその奥さんが郷里は何処?と聞くもんだから、××県ですと言ったら、その奥さん「あら私も××県よ!懐かしいわね!寒いでしょうちょっと待ってて」と言いながら、数分ほど待たされ、温ったかい甘酒を作ってくれた。寒かったからその甘酒の美味い事感激で涙が出た。それを飲みながら郷里の事や旦那さんの係長さんの事話してくれた。その時に聞いた話だが、旦那さんの係長さんキャリアの官僚と言っても、係長までは働き虫みたいで、国会の開会中や予算案に関係した時期になると、1~2週間位役所のソファ泊まりで帰って来ないそうである。もちろん残業代等出る筈もなく、奴隷見たいだとよく言ってたそうである。だが課長になれば、係長とは雲泥の差で朝から新聞各紙に目を通し上層部に上げ、課の指示を出すだけで現場のような仕事からは解放されるらしいが、国会の開会中や問題が起きたり部下の失敗で各課に詫び等なければ、ほぼ定時で帰れたらしいが係長以下の部下の責任がついて回り、身体を使わなくても精神的な苦痛は結構あるらしい。それだけ難儀をした見返りが、退官後の天下りという事らしく、今まで大変ご苦労さんでした、これからは天下り先にてどうぞ今までの難儀を癒して下さい。という事らしい。つまり今までの過酷労働の対価とでも言おうか、その分遊んで楽して下さいという事だ。逆説すれば形を変えた給料と言う年金みたいなもんである。その奥さんが言うにはだからどんなきつい仕事でも、天下りがあるから頑張れるのでだと言っていた。わたしは聞いてて変に納得した事を覚えてる。
今私はこのブログで一番嫌いな役人を批判してるが、ちょっと時間が空いた時には、この話良く思い出す。だからではないだろうが、時たまその追及が甘い時があるみたいだが、以上の理由なので、その時はご容赦願いたい。