6月の新潟県津南(つなん)町長選で初当選し「全国最年少の町長誕生」と注目を集めた桑原悠さん(31)が今月、就任した。津南町では初の女性町長。2児の母でもあり、家族の協力を得ながら仕事と育児を両立させる。「常に町長室のドアを開き、誰にでも入ってきてもらえるようにしたい」と意気込む桑原さんに、政治を志した動機や取り組みたい政策を聞いた。 (坂田奈央)
-選挙は男性2人との新人3人による争いでした。
「閉塞(へいそく)感を覚え、雰囲気を変えたいという人たちの票が上回りました。女性や若者の声を町政に反映させると呼びかけ、6年半の町議経験をアピールしました」
-取り組みたいことは。
「誰でも『よう町長』と話しかけられるような雰囲気づくりから始めたい。将来的には、町役場の徹底的なデジタル化や、基幹産業である農業に情報通信技術(ICT)、ロボット技術を用いて労働生産性を高める取り組みを進めたい。働く女性の増加とともに待機児童が増えているので、新たな保育園もつくりたいです」
-東京の学生だった25歳のときにUターンし、町議になった動機は。
「2011年に長野県北部地震が起き、テレビで被災した津南町の様子を見て、実際に町に帰って『地元のために働く人生を送りたい』と思いました。それまで政治家になりたいと思ったことはなく、企業に勤めるつもりでいましたけど、迷いはありませんでした」
-さらに結婚、出産を経て町長選に挑戦しました。
「議員になってみたら『自分が町長だったらこうしたい』という思いが自然と湧いてきました。議員時代は協力的だった家族も、町長選には最後まで反対でした。夫からは『子どもも小さい。これ以上、家族に苦労をかけるんか』と言われましたし、2月に亡くなった祖父も『やめておけ』と心配していました。最終的に理解してもらえたのは『どうやら本気だ。嫁に出て行かれたら困る』という意識からだと思います」
-母親業との両立に不安はありませんか。
「議員活動も両立できたので自信はあります。午前5時に起きて家の掃除をするのは私の仕事ですが、家事も育児も家族が分担してくれます。同じ状況で迷っている女性には『どんな手段でもある。大丈夫』と伝えたいです」
<くわばら・はるか> 1986年、新潟県津南町生まれ。早稲田大社会科学部卒。東京大公共政策大学院に在学中の2011年、津南町議選に無所属で立候補し初当選。12年に同院修了、15年の町議選で再選。養豚業を営む夫と3歳の長女、1歳の長男、義父母、義祖父母と暮らす。
今風の微笑ましい話題とは言えるが、私には果たして両立できるのか多分に疑わしい限りである。
戦後の男女同権政策により、女性の仕事場への参入により、女性としての気配りや気遣いによって、男性のみの荒々しい職場から、時代への変遷の社会構造の変遷と相まって新しい産業への貢献にも一役買った事は否めない事実ではあるが、その反動により逆に今世界の悩める少子高齢社会の形成に拍車をかけたのも事実である。思えば神代の昔より、いやそれよりずーっと昔より、恐竜時代から人間が出現する時代までの間に、動物として考える事の脳を授かった人間は本能を忘れてしまった事が原因と考えられる。今でも地球上の動物は雄と雌が存在し、それらが互いに役割分担をする事によって、動物本来の生活が保たれ現在まで生き永らえて来たのである。それが今日、人間は知恵を持ち動物としての本能の生活様式を破壊してしまった。動物本来の雌が家庭を守り、雄が働き稼ぎ食料を摂って来るその当たり前の生活様式が崩れてしまった。これでは子孫等残る筈はないのである。言わば我々人間が自己責任によって少子高齢社会を作ったと言い換えても良いのである。それを今更1億創生社会を等言っても、最早遅いと言えよう。何故なら本来の本能さえ取り上げてしまったと言えるからだ。私は何も女性の社会進出が悪いとは言っていないが、動物本来の本能を取り戻せと言ってるのである。私は男性だから残念ながら子供を産む事は不可能だ。だが唯一女性しか子供を産めないのである。その産む能力のある女性が、その能力を捨て男性並みに働き男性の代わりを務めるとなれば、産む能力のない男性は何をする?
そう言う考えの私にはこの若き女性市長余程の胆力の持ち主でなければ、男と女の役割は難しいと言える。また世情変換険しき現代何が起こるか解らない、その時果たして力の強い男並みに出来るのか不安である。だからこそ公共職は自分だけではない、町民市民国民全てへの公僕なのである。そこまでの覚悟有や。
※戦後の男女の同権政策、理解はしたいが、不具合は最近まであった。義務教育にはないが、高等学校には女子高は男子校に比べ各段多かった。女性は子を産む能力があるため身体的能力は男性より劣る。だからこそ女より男の方が力は強いし、スポーツでも男女差がある。もしどうしても男女同権であったら私を含めた男に子を産める能力を授けてもらいたいものである。