女性の指導的地位に占める割合を30%とする政府目標に多少の異議!

 「2020年までに指導的地位に占める女性の割合を30%」とする政府目標について、共同通信都道府県議会の女性議員に実施したアンケートで、回答者の7割超が「政治分野では実現不可能」と考えていることが9日、分かった。総務省によると、都道府県議会の女性割合は昨年末時点で9・8%。「政治は男性のもの」という根強い意識が障壁になっていると回答した人は多く、家庭との両立支援や、一定の議席や候補者を割り当てるクオータ制導入を求める声も目立った。
 
 戦後、女性が参政権を獲得し、1946年の衆院選で初行使してから10日で70年。46年に当選者の8・4%を占めた衆院の女性割合も、今なお9・5%と低迷している。安倍政権と各政党は踏み込んだ改革を迫られる。
 
 アンケートは地方政治の現場で女性が感じている課題を探るため、2月1日時点に都道府県議員だった261人を対象に2~3月に実施。6割超の161人が回答した。
 
 「国会と地方を合わせた政治分野で20年までに30%以上になるのは可能と思うか」との問いには73・3%(118人)が「思わない」とし、「思う」は6・8%(11人)だった。その他の記述は「思いたいが実際は難しい」「クオータ制を設ければ可能」などだった。
 
 
これ『7割が「不可能」 女性議員の割合、政府目標』と題した中国新聞4月10日の記事である。
 
 
 女性の政治への進出については、私は特別な考えを抱いている。私の考えはともすれば時代遅れの昔ながらの戦前の閉鎖的な野蛮な考えと非難される事大と自覚している。と言う事は時には話した全ての人から苦言を頂いているからである。ある意味本音と言われたこともあるが、押しなべて一部の人には理解してもらえてる。
まず、私はこの事を述べる前に、動物を例にとって述べてみたい。動物は本能として子孫繁栄を軸に生活をしている。神代から途絶えずにここまで来た訳はその本能の通り生きて来たからに他ならない。しかし、人間は違った、いや違うと言った方が良い。人間は考える頭脳を持ってしまった。人間の世界では、その本能の通りに生きて来たのはほぼごく最近までと言って良いからである。世界は押しなべて少子高齢社会を迎えたからである。戦後60年目にして、人間は動物としての本能を忘れてしまった。と言うより社会構造の変化により、多忙になり、本能をしのぐ環境の変化が表れて来たからだと私は思っている。        
例を挙げれば戦後の急激な経済の復興である。今では当たり前のようなテレビ等の白物家電の普及であり、それらに伴う通信やITの普及である。これらによって人間の生活様式はガラリと変わり、反面昔の素朴な良さが薄れてしまった。
人間は生活する手法の中で、余暇を覚え、しかもそれを最大の普及と言われたゲーム等(テレビゲーム等も含む)の室内遊びに多く費やす事が多くなってしまった。猫も杓子も大人も子供もである。時には若い子育て世代の若者夫婦までもが子育てを忘れて没頭するようになってしまった。また就労世代は戦後の男女同権により、男女の雇用機会均等法により、女性の社会進出が多くなり、冒頭の政治参加にまで広がって来たのが現状である。しかしである。法的には男女同権ではあるが、生物学的には男女同権は有り得ないのである。それは何故か。生物学的には、男性は子を作れないからである。子を作れるのは女性と決まっている。子を宿せるのは女性と決まっている。男性は子種は持ってるが子は産めないのである。これが決定的に男女の違いである。ところが女性が昔みたいに家庭にいて家を守っていた時代と違い、社会進出が多くなり、時には主夫逆転の時代となってしまった。そうなれば自ずと今までの男性みたいな精神的・肉体的な疲労により、生殖活動がおざなりになり夫婦生活がなくなってしまった。働く夫は仕事で疲れ、働く女性も男と同じになり互いに夫婦生活がなくなってしまった。男性はたまにその気になっても、女性の方が夫婦生活が面倒くさくなりしてない人が多い。これでは子供等出来る訳ないのである。だからと言って女性に家庭の主婦になれと言ってる訳ではないのである。私が言いたいのは少なくとも男女同権を、国が強制的に決めつけて、さも社会進出させないのは不公平と言う観念を植え付けるのではなく、その女性の自由にのびのびとさせた方がと思っている。それがひいては自主的な余裕を生み、余裕の家族生活を生んで楽しい夫婦生活を送れて、本来の人間の将来に向かった子孫繁栄を含めた人間生活ができ、それが社会を構築し得るものと思っている。女性よ!ある程度家庭に目を向け、自分の家族を生み、将来に向かった生活を楽しく出来る事を望みたいものである。