共同通信社が今月23、24の両日実施した世論調査によれば、この時期の解散に「賛成」と答えた人は23.7%だったのに対し、「反対」は64.3%に上った。有権者が政治家に対して意思表示をする重要な機会である総選挙に、6割以上が反対というのは政権側にとって決して喜ばしい兆候ではない。しかし。こうなっては自らまいた種は刈り取らなけれ
ばならない。
25日の記者会見で安倍晋三首相が述べた「解散の大義」についての説明は、予想された以上のものはなかった。税収の使途を変えるため総選挙が必要だという主張は、ほとんど説得性がない。その程度の話は国会で審議し、必要な措置を取れば済むことだ。
カネに色がないことを考えると、結局この主張は財政赤字をもっと増やしてよいかという話になる。それで総選挙が必要だというのであれば、毎年総選挙をしなければならないだろう。
北朝鮮問題は緊迫化しているが、その対応を巡って総選挙で決着をつけなければならないような深刻な世論の分裂があるわけではない。総選挙によって政治空白をつくっていいのかという主張の方に説得性があるのではないか。
衆院における与党の議席数は3分の2を超えるなど盤石であり、議席数を増やす必要もない。それでは何故わざわざ解散するのか、と聞きたくなるのは当然である。解散反対が6割を超えているのは、こうした不可解さに疑問を持つ人が多い表れだろう。
この問題で内閣支持率が急落し、首相の評価を低下させることになった。問題の渦中にある首相にとって、想像以上のダメージとなっている可能性は否定できない。今度の総選挙を「森友・加計隠し」と言う向きがあるが、あながち的外れとは言えない。
今度の解散戦術には、野党の準備不足を突くという面もあった。これはいかにも常とう手段である。確かに野党は分裂と混乱を繰り返し、民進党は解体の危機に直面しているように見える。
だが、この野党の準備不足を突くという戦術について、私は別の側面があると考えていた。すなわち、野党の迷走は時間をかければ収束するとは限らず、総選挙という外部からの「強制」こそが思わぬ野党陣営の活性化のきっかけになるのではないか、従って、野党の準備不足を突くという与党の戦術は、逆に敵に塩を送ることになるかもしれない、と思っていた。
案の定、25日の首相の解散会見に先立ち、小池百合子東京都知事は自ら代表となって国政新党「希望の党」の設立を宣言し、事態は大きく変わった。特に東京ではその感が強い。これからも何が飛び出してくるのか、野党陣営の動きも風雲急を告げている。
私は、今度のような衆院議員の任期途中での解散にずっと反対の主張をしてきた。政治は時間の中で国民に約束した政策をやり遂げることを使命としており、そのためには一定期間、安定した環境の中で計画的に課題に取り組む必要があるからである。
解散総選挙はこうした計画的な継続性を破壊し、長期的視座に基づく政策への取り組みを阻害する。また、総選挙となれば有権者への「お土産」が必要になり、今度の首相もそうであるように財政赤字の積み上げにつながる。
計画性が乏しい政治や、財政赤字の積み上げによって回転する「生き残りファースト」政治が何をもたらすか、思いを巡らす選挙でなければならない。日本の有権者に求められるのは、将来のことに真摯に心を向ける政治家を見つけ出すことである。常在戦場などと言った言葉に踊らされている場合ではない。(佐々木毅元東京大学総長、東京大学名誉教授)