野党の追及に対して、首相が、憲法改正に対する自分の考えを知りたいなら「読売新聞読んで」と言い放ったことなども、顎(あご)が外れるほどの驚きである。
と、一応、書いてはみたが、驚くことばかり起こるようになって、すでに4年ほどが経過しているから、こちらも慣れてきて、驚いただけで終わってはいけない、外れた顎をもとに戻すついでに何か新しい知見でも得ようと思うくらいには、タフになってきた。
荻上チキさんがパーソナリティーを務めるTBSラジオの「セッション22」という番組内で、憲法学者の木村草太さんが指摘した。
安倍晋三首相が「改憲」の具体的な項目として言及した「教育無償化」は、現行憲法に違反しないため、いますぐ法律を作れば実施できるのであり、わざわざ憲法を変える必要などなく、850億円もかけて憲法改正するのは、たいへんな無駄遣いになるというのだ。
「教育無償化のために改憲する」という発想は、言ってみれば「食洗機が欲しいから家を建て替える」みたいな話ではないか。食洗機が欲しいなら、食洗機を買えばいいだけの話だ。
この数字を覚えておこうと思う。みなさんも、ぜひ、忘れないでください。850億円。憲法を変えようという話が出てきたら、まず、「それは850億円かけて、いまやることか?」と考える癖をつけることにしたいと思う。
しかし、悲しいかな、億などという単位とは無縁に生きているものだから、850億円がどんな額のお金なのかがイメージできない。
ちなみに、なにも考えずに「850億円」でネット検索をかけてみると、「豊洲新市場の盛り土費用850億円はどこに?」という話題がヒットする。例の、土壌汚染対策のためにするはずだった「盛り土」がなかった件だ。850億円はどこに消えたのか?
国だの東京都だのという大きな組織は、人さまから預かる税金の中から850億円くらいなら無駄遣いしてもいいと考えているのだろうか。こうして850億円は、ますます、忘れがたい数字となった。
「教育無償化」のために憲法改正が必要だと言っているのは、安倍首相以外でも、維新の会とか、民進党の細野豪志議員とか、ずいぶんたくさんいるけれども、彼らは、(1)憲法を変えなくても無償化が実現できることを知らない。(2)どうしても憲法改正をしたいので、多くの国民が飛びつきそうな「無償化」という言葉を、釣り文句に使っている。この二つのどちらなのだろうか。(1)なら不勉強、(2)なら不誠実ということになってどっちもよろしくないが、ひょっとして(1)+(2)ではないかと、私は疑っている。
とはいえ、850億円かけても、憲法を改正したほうがいいという局面は、いずれ起こってくるかもしれない。やはりここは憲法を変えないと、あるいは憲法に新たな条項をつけくわえないとうまくいかない、ということはあるだろう。
本紙の連載「点検・国民投票制」でも、いくつもの問題点が指摘されていた。最低投票率の規定を設けるべきじゃないのか。国会の発議から国民投票までの期間が短すぎる。テレビCMに規制を設けなくてもいいのか、などなど。