最近の憲法改正問題をはじめとする、安倍晋三首相の言動、驕り高ぶりは尋常では無い!

憲法改正、今やることか?
 このごろ、朝、起きて新聞を開くと、大抵びっくりすることが書いてある。
 日本国憲法施行70年の今年、首相が唐突に憲法改正の具体的な日程や内容を、改憲派の集会へのビデオメッセージやら大新聞のインタビューで語った。

 野党の追及に対して、首相が、憲法改正に対する自分の考えを知りたいなら「読売新聞読んで」と言い放ったことなども、顎(あご)が外れるほどの驚きである。

 と、一応、書いてはみたが、驚くことばかり起こるようになって、すでに4年ほどが経過しているから、こちらも慣れてきて、驚いただけで終わってはいけない、外れた顎をもとに戻すついでに何か新しい知見でも得ようと思うくらいには、タフになってきた。

 今回、首相の「改憲」発言後に私が学んだのは、「憲法改正には850億円かかる」という峻厳(しゅんげん)な事実だ。

 荻上チキさんがパーソナリティーを務めるTBSラジオの「セッション22」という番組内で、憲法学者の木村草太さんが指摘した。

 安倍晋三首相が「改憲」の具体的な項目として言及した「教育無償化」は、現行憲法に違反しないため、いますぐ法律を作れば実施できるのであり、わざわざ憲法を変える必要などなく、850億円もかけて憲法改正するのは、たいへんな無駄遣いになるというのだ。

 なんということだ。

 「教育無償化のために改憲する」という発想は、言ってみれば「食洗機が欲しいから家を建て替える」みたいな話ではないか。食洗機が欲しいなら、食洗機を買えばいいだけの話だ。

 850億!

 この数字を覚えておこうと思う。みなさんも、ぜひ、忘れないでください。850億円。憲法を変えようという話が出てきたら、まず、「それは850億円かけて、いまやることか?」と考える癖をつけることにしたいと思う。

 しかし、悲しいかな、億などという単位とは無縁に生きているものだから、850億円がどんな額のお金なのかがイメージできない。

 ちなみに、なにも考えずに「850億円」でネット検索をかけてみると、「豊洲新市場の盛り土費用850億円はどこに?」という話題がヒットする。例の、土壌汚染対策のためにするはずだった「盛り土」がなかった件だ。850億円はどこに消えたのか?

 国だの東京都だのという大きな組織は、人さまから預かる税金の中から850億円くらいなら無駄遣いしてもいいと考えているのだろうか。こうして850億円は、ますます、忘れがたい数字となった。

 「教育無償化」のために憲法改正が必要だと言っているのは、安倍首相以外でも、維新の会とか、民進党細野豪志議員とか、ずいぶんたくさんいるけれども、彼らは、(1)憲法を変えなくても無償化が実現できることを知らない。(2)どうしても憲法改正をしたいので、多くの国民が飛びつきそうな「無償化」という言葉を、釣り文句に使っている。この二つのどちらなのだろうか。(1)なら不勉強、(2)なら不誠実ということになってどっちもよろしくないが、ひょっとして(1)+(2)ではないかと、私は疑っている。

 とはいえ、850億円かけても、憲法を改正したほうがいいという局面は、いずれ起こってくるかもしれない。やはりここは憲法を変えないと、あるいは憲法に新たな条項をつけくわえないとうまくいかない、ということはあるだろう。

 だとすれば、国会でも国会の外でも、もっとまじめに「国民投票法」の改正を議論したほうがいいのではないだろうか。

 本紙の連載「点検・国民投票制」でも、いくつもの問題点が指摘されていた。最低投票率の規定を設けるべきじゃないのか。国会の発議から国民投票までの期間が短すぎる。テレビCMに規制を設けなくてもいいのか、などなど。

 連休最後の週末に駆け込むようにして、国立公文書館で開かれていた「誕生 日本国憲法」の展示を見てきた。「日本国憲法」の原本と、その成立過程で提出された文書が、ガラスケースに時系列で並ぶ。五月晴れの気持ちのいい日だったが、入り口には長蛇の列ができていて、図録は売り切れ、老若男女問わず、熱心に展示に見入っていた。=毎週日曜日に掲載
 
 
これ「850億という数字=中島京子・作家」と題した毎日新聞514日 東京朝刊の記事である。
 
 
私はこの記事読んでもっともと思った。安倍晋三首相(=以後コイツと言わせて頂きたい)は第二次政権以来驕り高ぶっていると感じている。別の言葉で言わせて頂けば、コイツはかなり生意気である。何故なら選挙の僅か30パーセントを超える投票数で、選挙制度の歪をくぐり過半数議席を確保した。それを良い事に、自分は信任されたから何をやっても許されると思ったのかも知れない。がしかし、ルール上はそうかも知れないが、選挙民である我々国民は決してコイツに白紙委任状を出した訳では無い!少しは国の代表である宰相として国民に対する僅かの気遣いも無いと言うのか。見方を変えれば人間として狂ってるとしか思えない。何か戦前の軍部のような、誰かと戦いたい。軍の力を実際に試してみたい気持ちに駆られ、ギラギラした目を見るとそのように思わざるを得ないのである。少なくとも私にはそのように見えてしょうがない。昭和の妖怪、爺の岸信介の遺言に取りつかれているようにしか見えない。でなければ石破元地方創生相が言う様に従来の自民党憲法観を逸脱し、憲法改正を「2020年に施行したい」とのメッセージを出し、コイツが自民党憲法審査会との矛盾をあからさまにする等、余りにも驕り過ぎている。こんなコイツを自民党所属議員は何とも思わないのも不思議である。もっとも現状の選挙制度で、議員一人一人の公認権は素よりカネも握っているから何も言えないのかも知れないが、国民の反発を喰らえばそれでは済まないのである。今度の選挙でコイツを唯の人にしなければ、明日の日本は無い!