安倍首相予算案の質疑で憲法改正に言及 改正しなくても加条でで済む

 衆院予算委員会は3日午前、安倍首相と全閣僚が出席して2016年度予算案の基本的質疑を行い、実質審議入りした。
 
  首相は憲法改正について、「国会は(改正の)発議をするだけで、決めるのは国民(による国民投票)だ。国民に決めてもらうことすら国会議員がしなくていいのか。それは責任の放棄ではないか」と述べた。その上で、「だからこそ国民の理解が不可欠で、具体的な改正の内容は国会や国民的議論と理解の深まりの中でおのずと定まってくる」と強調した。自民党稲田朋美政調会長の質問に答えた。
 
  予算委は3日午後も基本的質疑が行われ、民主党などは甘利明・前経済再生相の違法献金疑惑を引き続き追及する構えだ。
 
 
これ『憲法改正「決めるのは国民」…衆院予算委で首相』と題した読売新聞 23()122分の配信記事である。
 
 
 確かに理屈上はその通りであるが、改憲を国会で発議すれば必ずや可決出来ると踏んでの発言だろうが、そうは問屋が卸さない事を安倍首相は知るべきである。国会は国民の声と思ってるみたいだが、そうは甘くはない。人間の精神や、物事の条文の精神はいつの世でも古く錆びつくことはないのである。戦争の悲惨さを一番知ってるのも国民なのである。だからこそ憲法9条の条文はそのままでも差支えないのである。自衛隊の趣旨が違えば、それこそ現代用に変えれる条文を加えれば済む。つまり加条である。それを全ての条文が古いように扇動し、変えさせようとするのはそれこそ独裁そのものである。自分の思い通りに出来る事を証明したいのであろうが、それが現代の独裁者そのものでもあるのだ。もういい加減にしてくれと私は言いたい。