■目に余る財政ポピュリズム
「政治屋(ポリティシャン)は次の選挙のことを考える。政治家(ステイツマン)は次の世代のことを考える」。20世紀に入る前後に、米国のアーカンソー州知事や上院議員を務めたジェイムズ・ポール・クラークの言葉だ。クラークの定義に従えば、安倍晋三首相は、まぎれもなく政治屋になる。
選挙を前に道理は吹っ飛び、酒を除く食品全般で軽減額1兆円。これが毎年だから、将来にわたり失う税収(社会保障財源)は膨大だ。気の毒なのは、先に結論ありきの猿芝居のような公明党との協議を託された谷垣禎一自民党幹事長だ。
財務相の経験者で、野党党首時代に「社会保障と税の一体改革」で、民自公3党合意の当事者だった。「生鮮食料品に限ると」と頑張ったが、悔いがのこる決着だろう。民主党から「財政再建の旗を降ろした」「3党合意は破棄された」という声が出ている。
バラマキ型首相といえば、日本列島改造論の田中角栄氏を思い出す。公共事業はもちろんだが、消費者米価は据え置き、生産者米価は首相裁断で上積みしたりもした。当時は税の自然増収が潤沢で、赤字国債はなく、国民の平均年齢も30歳そこそこ。経済成長の利益の分配が、政治の役割という面もあった。
国の借金が1000兆円を超え、人口構造は逆ピラミッド型になった今は「不利益分配」こそ政治の課題との指摘がある。安倍流で大丈夫なのか。
私の言いたい事正にこの通りである。論評は控えたい。