福井の永平寺参拝と京都の紅葉旅行記①

 私はリハビリの成果を確かめるべく年に2回ほど旅行をしてる。小脳出血の発病以来この12月で8年になるが、幸いにも麻痺は無く、左手足に失調感が残り、バランスを失ったため一人ではチョット苦しいが何とか歩ける事は歩けるが、妻の介護があって初めて人並みの歩行と言える。その間大浴場への一人での入浴も何とかできるようになり、今はこうしてその苦しいリハビリを乗り越えながらようやく1週間と言う長い旅行が出来るようになった。これもひとえに妻のお蔭である。ホント足を向けては寝られない。(笑い)
 
1日目は東京でスカイツリーに昇った事なかったので、はとバスのそれを含めたサンセットクルーズディナー込のコースで観光した。浜松町の日の出桟橋発の2時間のコースで洋食を食べながら夕暮れを堪能した。その後のスカイツリーの展望台からの東京の夜景きれいだった。

2日目は北陸新幹線で福井に向かったが、余りにも以前印象が強かった金沢に途中下車し、近江市場で、新鮮魚介類の昼食を食べながら、新しい金沢の玄関口の金沢駅周辺を散策した。4時間ほどだったが、満足し福井に入り、駅前のホテルで疲れを取り明日の英気を養った。

3日目は第一の目的永平寺の参拝である。観光地でありながら、永平寺門前までの連絡があまり良くないため、駅前のレンタカーで車を借り永平寺門前まで行った。紅葉には少し早いためか、そんなに観光客いなくて快適だったが、山門から法堂までは高さと階段の数で閉口したが、妻の介護のお蔭で何とか手すりに掴まりながら、昇り切った。修行僧が数いるので、カメラ禁止だったが、シークレット設定にし知らん顔して首にぶら下げたまま動画を撮った。それなりに写っていたので良しとしたい。終わり次第、11月6日に解禁になった越前カニの本場越前海岸に向かった。その日は、最近オープンした道の駅「越前」によりカニ仕入れ、厨温泉のとある温泉宿でカニを食べゆっくりする事だった。道の駅「越前」にはさすが本場カニが勢ぞろいしてた。(笑い)驚いたことにセコガニがズラーっと並んでいたことだ。私も以前よりこの越前カニのメスカニ(セコガニ)を食したいと思って居たが、見た事なかったので、良い勉強になった。ホンに小さいカニ(甲羅が57cm)であるがその腹には卵がいっぱいつまってて見るからに美味そうである。宿では出ない予定だったから、ここでしこたま仕入れ宅急便で自宅や友達知人に送った。
大体送りが終わったところで宿に向かいチェックインしたが、後悔した。とんでもない宿だった。2階建てでもちろんエレベーター等当然無いし、部屋にトイレも無ければ、洗面所も無く全て共同だった。驚いたのはトイレが洋式が無く、和式大便器が1ケしか無く、もちろん洗浄トイレ等望みべくもなかった。更に驚いたのは部屋の掃除がされてなく、埃だらけだったことだ。私は黒のスラックスだったが、タタミのゴミで真っ白になってしまった。更に聞けば、今日の客これだけ大きい宿なのに、私たち夫婦二人だけしか客がいなかった。(笑い)
つまり貸切と言う事にもなる。(大笑い) 風呂は男女別にはなっていたが狭い風呂でもあった。本当に帰ろうかと思った。今夜の料理本当に越前カニ食べれるのだろうか、心配になって来た。思えば、道の駅「越前」で店員さんが、「今日はどこにお泊りですか」と聞かれたから、「×××です」と答えたら、えーっと我々の顔見て黙りこくってしまったのを思い出した。あの時おかしな顔するナと思ったのこの事だったんだ。今思えば良くあんなとこに泊まるの?と言われたのに等しいのだったろう。何故その時どうしてと聞かなかったのか、今悔やまれる。これには後日談があるが、この宿に泊まる日、つまり今日の朝、私の自宅に本当に今日来るのかと言うような電話が入ったとのことだったが、我息、考えられなかったので、当たり前だと言ったらしいが、私たちにはそのこと言わなかった。何から何までピントがズレてた。残念である。でもカニは普通に出、一人3パイずつ食べた。生にゆでに焼きと3種類食べた。足には越前カニタグがついていたから本物だったんだろう。料理には手抜きはなかったが、翌朝の朝食のご飯は昨夜のご飯だったのをみたら、客への気配りはゼロである。客がいないの当たり前だ。普段私は宿の予約するに、口コミから風呂の詳細、トイレの種類、そして肝心な洗浄トイレかいつも念入に調べて予約するもだが、今回越前カニのフルコース、余りに安かったから、すぐに予約してしまった。完全に私のミスである。妻は私に気遣い、大きな宿を二人で借り切ったと思えば良いのではと、気休めを言ってくれたが、私の気持ちは今でも収まらない。本当に今だから言えるが、和式のトイレ、体の不自由な私、用を足すに掴まるところも無くしかも、尻も拭くに洗浄も無い。笑われるかも知れないが、用を足して拭かずに、風呂に行き浴槽の中で尻を拭いた。だって誰も居ず、貸切だったから出来た事でもある。究極は支払いを済ませ、少し休んでから宿を出ようとしたら、フロント(それらしきものなかったが)に誰もいないではないか。まさか支払いを済ませたとは言え、だれもいないところからは出れないと思い、大きな声で、二三度叫んだらやっと出てきた。本当に考えられない宿だった。二度と行きたくはないと思ったが、こんな宿その前に潰れて無くなっているだろうから心配する事無いか。

4日目はそんなこんなで悪夢から逃げ出し、武生(たけふ)駅に向かった。武生の駅傍のレンタカーに車を乗り捨て、京都に向かった。
この後は次回で。