昨日の朝NHK「あさいち」で取り上げてた介護疲れによる高齢者世帯だけの殺人等の事件である、驚く事にこの社会構造の変化により、これら団塊の世代は「死ね」言われる世界は政治の荒廃か?

団塊は冷戦下の高度経済成長に浮かれて日本にまともな市民レベルの政治運動や労働者の権利意識を根付かせる事に無頓着だった。
そんな事に時間を割くぐらいならば少しでも他者より働いて同僚を出し抜こう、というさもしい社畜精神を蔓延させた。
結果として日本における市民や労働者の権利は経済大国の看板とは裏腹に先進国としては極めて貧弱なものとなった。
それゆえバブル崩壊時には政官財は誰も責任を取らずに公的資金で やりたい放題、それが尽きると今度は国際化をスローガンに他の先進国とは比べ物にならない卑劣な人材派遣業を横行させ、最後は既得利権にばかり有利な規制緩和公的支援の施策により実力主義にという名目での階層社会実現と固定化を目指してる。
失われた10年に浪費されつくした若年層の人的資源は単に10年どころではない、国家100年の大計に充てられるべき最後の世代だったのに目先の生活安定の為に団塊は彼らを見殺しに・・・いや喰いモノにした。
その反動は彼らが引退してから彼らに波及する。あと数年後だ。
自業自得だが、スローライフなんて期待するだけ無駄だぞ。図々しい。
今度は団塊が喰いモノにされる番だ。

これ「得をするのは団塊世代団塊世代は死ね(331)」と題した、誰か若者のネットへの書き込みである。

■「母の世話にイライラした」暴行し死なせた疑い、容疑の60歳女を逮捕
■帰省したら母に「奴隷扱い」 罪悪感が生んだ“遠距離介護”の悲劇
■母と無理心中図った46歳娘を逮捕
■木炭燃やし母殺害 介護疲れで心中図る? 殺人容疑、次男を逮捕
■介護の母殴り、47歳会社員逮捕…母は死亡
■「介護に疲れた」心中か 大阪・豊中、60代の夫婦死亡
■70歳妻はなぜ90歳夫を刺したのか…老老介護15年の“地獄”
 上記したのはここ何カ月以内に起きた高齢者の、介護疲れによる殺人等の事件のあらましである。ここにあげたのは、それこそマスコミに報道された大きな事件であり、小さな事件を含めれば実際はもっと多いと考えられる。
 折しも昨今叫ばれている、少子高齢社会の歪が顕著に表れた事件でもある。
 現在60歳以上の高齢者人口が4人に1人の割合になってしまっている。それを考えれば若者が少ない、正に世代を託す後継者が居なくなってしまった現状を考えれば、自ずと高齢者だけの2人世帯が多くなり、どちらかの病気や加齢により、片方が片方を看るそれこそ高齢者が高齢者を看る、介護世帯が非常に多くなってしまった。欧米の先進国のように、高齢者に厚い保障が出来ない、中途半端な国我日本は、正に高齢者にとって非常に住みにくい国となってしまった。
 また紹介した団塊の世代への非難の書き込み、こんなにも偏見を抱いていたのかと驚いたが、ある意味、言い得て妙なところもあるから不思議である。この書き込みでは無いが、彼らに言わせれば、これら全ての政治の施行人は政治家を含め、団塊の世代に置き換えられるのであろうと私は解釈した。思うに私が以前より指摘して来たところでもあるが、現在の国の財政の困窮に行きつくのである。それを俗に言う(私が)政治家と言う人種が、つまり民主主義的に選抜された代理人である政治家と言われる人種の見通しの甘さが招いた結果でもあるし、またその結果の責任も取らずより増幅させた結果でもある。つまり、国家の計を司るのが彼らの使命だったが、それを真剣に政治に反映出来なかった結果でもある。言い換えれば、それらを選んだ国民の責任でもある訳だ。その政治家たちはそれでも懲りず、身銭を切らず、そのツケを全て国民に押し付け、広く浅くの代名詞の「消費税」と言う形で国民から左翼的に言えば搾取したのであり、その大きな結果として、高齢者に辛い政策が、このような事件を引き起こしたとも言われるのではないのかと私は思った次第である。