先日の介護保険関連法の改正案の委員会強行採決 これを見る限り安倍政権には国民に対する気遣い等微塵も無い!

 お年寄りの健康と命より、“安倍サマ”のメンツが大事ということだ。衆院厚労委は安倍首相に森友学園絡みの質問をぶつけた野党に与党がハラを立て、介護保険関連法の改正案を強行採決してしまった。
 一定年収以上の高齢者に介護料の3割負担を強いる法改正をこんな形でゴリ押ししたのだからムチャクチャだ。
 高齢者の介護料負担は2年前から2割に増えたばかり。負担に耐えられず特養ホームを退所するケースも出ているのに、安倍政権の「老人イジメ」は止まらない。
 この春からは高齢者狙い撃ちの負担増ラッシュ。4月には75歳以上の医療保険料の「特例軽減措置」が縮小し、収入に応じて支払う「所得割」のうち、低所得者への5割軽減が2割にカットされた。
 来年度には特例そのものをなくすというから、血も涙もない。これでは下流老人は病院にも行けない。
 8月には「高額療養費制度」で定めた70歳以上の医療費負担の上限額が跳ね上がる。対象者は実に約1400万人。年収370万円未満だと、入院を含む負担上限が4万4400円から5万7600円にアップする。
 すでに70~74歳の窓口負担を原則2割に引き上げ、75歳以上も1割から2割への負担倍増案も検討中だ。こうして病院通いのハードルを上げながら、虎の子の年金を株式市場の鉄火場にブチ込んでいるのだから、とんでもない話だ。
 65歳以上のうち、生活保護基準以下の低年収層は推計200万人もいるのに、冷血政権には「貧困と格差」を解消する意欲は一切ない。
「『老後破産』や『下流老人』という言葉が定着する中、むしろ『貧しい老人は病院に来るな』『国のカネを使わず自宅で死ね』というサジェスチョンすら感じます。基本的人権から逸脱した政権が進めるのは、貧しい人が死ぬまで貧困に苦しむ格差の固定化です」(経済ジャーナリスト・荻原博子氏)
 長寿がリスクになるとは、つくづく嫌な時代だ。
 
 
これ『「貧しい老人は自宅で死ぬ」という冷血格差社会の固定化』と題した日刊ゲンダイ5月4日の記事である。
 
 
先日BS朝日で「命を救う!スゴ腕ドクター」を録画してたので2回連続で見た。1回目は「乳がん、大腸がん、脳卒中」で2回目は「子宮がん・肝臓がん・腰痛」だった。現世でどうしようもない不治の病に近い病気を最大限患者の側に立つそれこそスゴ腕ドクター奮闘記と言え、私は現世にこんなにも患者の気持ちを考えた、日本に二人と居ないであろうスゴ腕ドクターの真髄を見た。それぞれ見終わってから、しばし興奮冷めやらなかった。このスゴ腕ドクターの凄いところは、医者と患者の関係がそれこそ一般的な医者と患者の関係では無く、共に不治の病と言われる病気に友達のように優しく、あくまでも医者が患者の立場に立ち、ある時は兄妹のようにある時は母親のようにと言う、何て言うのか、そうあくまでも人間としての気遣いに長けた接し方だった。本当に私はしばらくぶりで感銘を受けたドキュメンタリードラマだった。
話しをこの記事に戻せば、今の自公の政権党の国会議員の連中には団塊の世代が疎ましいと思っているからだろうと推測する。時代と社会構造が違うと言うかもしれないが、団塊の世代をはじめとする今の高齢者は、少なくとも戦後の日本経済の復興に寄与した最大の功労者である筈である。国会議員も人並みの人間であれば、戦前戦後の道徳ではないが、両親を含め自分より目上の人間に対して敬いを持つのは当然であり、現代の常識でさえある筈だ。どうも今の政権を含めた国会議員と言う人種にはそれが欠けているように思えるし、前記の「命を救う!スゴ腕ドクター」の録画のドクターの気遣いには医者と政治屋の違いがあっても、到底及びもしない。それが介護保険関連法の改正案の強行採決である。
確かに近代の社会構造の変化により、高齢者の社会保障費の増大によりその費用に頭を悩ますのには理解はするが、高齢者への気遣いが無さ過ぎるのではないかと私は思っている。何故それに掛かる歳出経費の削減に目を向けないのか不思議であり残念である。かかる経費は現状はベストではないのである。も少し自分らの仕事を見つめ直し、もっと効率よくムダを排除し得る要素がある事を考え、それを知り、それを即座に実行に移すべきと私は考える。その後に我々に良く説明しさえすれば、決して我々高齢者もやみくもに反対はしないのである。
少なくとも自民の安倍政権には、私が感銘を受けたこの「命を救う!スゴ腕ドクター」の医師のような患者=国民に対しての気遣いの心等、ホンの一滴も無いように感じられる。安倍首相の国会での簡単に平気でウソつく答弁を見るにつけ、本当にこの人日本国・日本国民のための政治を考えて居るのか甚だ疑問である。