働きたい者が働けない現実、プロ野球協約に見る現実

 中日の落合博満GMが名古屋の室内練習場で、自主トレ中だった松井佑介外野手に打撃指導したことに関して「野球協約違反ではないか」という声が上がっている。コミッショナー事務局は、今回の落合GMの行動を不問にする見解を示しているようだが、プロ選手会は、まだ態度を明らかにしていない。
 ここまでの経緯を報道でしか知らないことを断っておくが、今回、落合GMが起こした騒動に関して2つのことを考えた。「落合GMの行動の是非」と、「現在のポストシーズン制度を見直すべきではないか」という議論だ。
 
■若手選手からは“指導”の要望があった
 私は、阪神GM付育成&打撃コーディネイターとして高知県・安芸で行われた秋季キャンプで、若手野手への指導を行ったが、指導者の立場からすれば、12、1月の2か月という空白が非常に不安なものに感じた。選手自身も、秋季キャンプでつかんだ感覚を忘れたくなかったようで「明日にも開幕を迎えたいんです」という話をしていた。
 秋季キャンプ中には、ホテルに素振り部屋を一室用意してもらい、そこで伊藤隼太森田一成、中谷将大という3人の選手を一人ずつ呼んで、1対1の空間でスポンジボールを打たせながら教えた。彼らは、そこで何かのヒントをつかんだようで、「12、1月のオフにも同じような指導をお願いできないでしょうか」というリクエストがあった。
 
野球協約で禁止されている選手への指導
 野球協約の173条(別項)では「球団または選手は、毎年12月1日から翌年1月31日までの期間においては、いかなる野球試合または合同練習あるいは野球指導も行うことは出来ない。ただし、コミッショナーが特に許可した場合(海外キャンプのケースが該当)はこの限りではない。なお、選手が球団の命令にもとづかず自由意思によって基礎練習を行なうことを妨げない」と明記されている。
 私にはコーディネイターという球団の役職と同時に野球評論家という立場がある。正確に言えば、コーチでもフロントでもない。落合GMは「ユニホームを着ていないから」と、球団フロントの人間が、ポストシーズンに選手を教えることに問題はないという独自理論を語ったらしいが、私は、第三者を通じてコミッショナー事務局に「私のような立場の人間がポストシーズンに選手を教えていいものか」ということを問い合わせた。
 その答えは、白でも黒でもなくグレーというものだった。
  ”しかし、このことが前例としてまかり通ると、今後、他球団も評論家に対してアドバイザーなりのグレーな肩書きを与えて、オフの指導を行うようなことが日常化してしまう可能性も出てくる。掛布さんの判断に任せるが、そういうことを承知しておいて欲しい”という見解だった。私は、現状のルールに照らし合わせて、グレーであるならば、球団及び選手に迷惑がかかることを考えて行動を控えた。
 
■落合氏の勝手な解釈は間違っている
 そういう経緯があっただけにGMという立場にある落合氏の行動には、非常に違和感を覚えた。勝手に協約を解釈してしまうことは間違っている。落合GMなりに野球協約を読み込み、解釈がグレーであることと、ポストシーズンのあり方への議論を喚起させるためのメッセージとして、あえて問題行動をしたのかもしれないが、そのやり方も間違っている。GMという立場にある人間ならば、なおさら野球界のルールには神経を尖らせて遵守しなければならないだろう。実力行使をする前に、まずコミッショナーサイド、選手会サイドと、堂々と議論、協議をすべきである。
 
ポストシーズン選手会が勝ち取った権利
 そもそも、この野球協約173条のポストシーズンを遵守する問題は、私が中畑監督と共にプロ野球労組・選手会の幹部をしていた時代に勝ち取った権利だ。プロ野球選手は、2月から11月までの10か月の報酬しかもらっていないが、報酬のないオフの2か月間も球団に強制されるキャンプまがいの合同自主トレが横行していた。我々は、FA、10年選手制度の復活などの権利獲得を目指していたので、その前段階として「給料をもらっていない期間に球団の拘束を受けるのはおかしいでしょう」と、選手の権利確立を目指した。まずは、うやむやになっていた野球協約173条の遵守を12球団に通達したのである。結果、合同自主トレは廃止、現在に至っている。
 
■時代が変わった今、ポストシーズンを見直すべき
 落合GMの気持ちを理解できる部分もある。私も、選手会としてFAなどの権利を得た現在、ポストシーズンに関しては、見直すべき時期ではないかと考えている。レギュラー獲得を狙う若手の選手からすれば、成長の機会を阻害される邪魔なルールだ。プロの“イロハ”がわからぬ新人選手に関しては、指導者がいなければ、故障発生などの支障があるため、特別に新人合同自主トレが認められているが、若手もベテランも同じルールに当てはめることは考え直していい。
 例えば、入団5年目以内の選手に関しては、本人が指導を受けたい旨を事前に申請しておけば、球団フロント及びユニホーム組との接触、指導を認めるなどの新しい解釈、もしくは改正を考えてもいいのではないか、合同自主トレなどの集団的な指導の再開ではなく、あくまでも若手選手主体の“レッスン”であれば容認すればどうだろう。選手の全体的なレベルアップ、プロ野球界の底上げのためにも考えるべき案件である。
 
選手会からも行動を
 本来、これらの改正案は、球団側からだけでなく選手会サイドからも提案すべき筋合いの話だろうとは思うが……。中日の選手会が、今回の落合GMの行動を「自然な偶発的な形で球団フロントが選手を教えることに問題がない」と問題視しないのならば、中日の選手会が最初に、そういう声を挙げてもいいだろう。
(文責・掛布雅之/野球評論家/構成・本郷陽一)

 これ「落合GMの協約違反疑惑への賛否」と題したチョッと古いが 気になるニュースをわかりやすくのTHE PAGEの1月10日 09:00の記事である

 たまたネットを見ていたら目に入った記事である。野球好きな私だから一言言いたくなった。確かに野球選手は、球団には属しているが、紛れも無く個人事業主である。だからこそ当事の選手会の幹部だった掛布氏たちが選手を代弁して作った、選手個人の権利だと思う。球団には属してはいるが、シーズンオフまで球団に束縛されたくないと言う気持ちは良く解かるが、私には少しおかしいのではと思った。私はプロ野球の契約書見た事も無い事を予め断っての意見であるが、その契約書は12月と1月除きの10ケ月契約なのだろうか。だとするなら、掛布さんの言うとおりだから私には異存は無い。が、しかし、もし通年の1年契約であれば(シーズンオフ12月と1月除きの特約条項無き場合)いくら選手会野球協約にその条項が入っていたとしても、法律的にはおかしいし、逆に違和感を覚える。私の様な野球の素人がと怒られそうであるが、これは丁度20数年前の労働基準法の改定の考え方に似ているからである。当事日本は高度成長期から緩やかなる維持期に差し掛かっていた。当然に日本国政府は他国から、儲け過ぎ日本、働き過ぎ日本にそのレッテルを貼り糾弾していた時期でもあった。以来日本はそれを受け入れ、かの1週2日休の制度が普及したのである。ところが高度成長を担った団塊の世代は反発した。何故なら働く事で人生充実させて来たその世代は行くところがなくなってしまったのである。つまり働きたくても働くなと言う国の命令だからである。だからこそ、その法の改定以後も国の命令を無視したのである。いつもそうであるが、そのような楽になる改定に真っ先に従順するのが役人である。この時も率先したのが、労働省(現産業労働省)を初めとする霞ヶ関だった。
 今回のこの掛布氏が言ってる協約違反、正に当事の1週2日休の制度とそっくりである。野球選手は1年1年が命である。育成選手等は30過ぎても普通のサラリーマンの待遇以下の選手も数居る。そう言う選手は、シーズンオフと言えども遊んでなんか居られないと言えるのではないだろうか。やりたい野球をやって何が悪いとそう言う選手は思っているのではないだろうか。それを苦労人の落合元中日監督は思っての行動だと私は理解する。掛布さんの言ってる事は確かに正論ではあるが、日の当たるところしか歩いていない選手の言い分でしか無いと私は思った次第である。