巨人・高橋由伸監督(43)が今季限りで退任することが3日、決定した。山口寿一オーナー(61)が都内の球団事務所で取材に応じ、明らかにした。高橋監督は今季が3年契約の3年目。4年ぶりのリーグVを目指したが優勝争いに絡めず、同オーナーへ辞意を伝え、受理された。後任監督については「今日のところは言えない」としたが、理想像を「経験、実績が必要」と話し、原辰徳前監督(60)の3度目の登板が決定的となった。
就任後、初めて迎えた開幕戦のあいさつは、野球賭博事件の謝罪から始まった。志半ばで現役生活を終え、いきなり現場のトップに立った高橋監督。チームも世代交代の過渡期に当たる時期。指導者経験のない中で、重荷を背負い続けての3年間だった。
山口オーナーは「監督一人の責任ではない」とし「十分なバックアップができていなかった」と言った。7月には2軍調整中のゲレーロが指揮官との面談を拒否。「ゼロ、コミュニケーション」とまで言い放った。本来、間に入るべきだった鹿取GMは、フォローすることもなかった。
そして、CS出場の可能性が残る中という退任公表の時期。最後まで戦う現場に配慮すべきではなかったか。指揮官は常々「結果がすべて」と口にしてきた。辞任の決断は必然だったかもしれない。ただ、同オーナーが「ジャイアンツの宝」とまで称した指揮官が置かれた環境は、あまりにも酷だったと言えるだろう。(デイリースポーツ・巨人担当・野畑圭司)
これ「【記者の目】巨人・由伸監督、電撃辞任 配慮なき公表…あまりにも酷だった環境」と題したディリー 10/4(木) 6:00の配信記事である。
西岡はこの日、インスタグラムに長文のメッセージを投稿。「阪神タイガースファン、関係者の皆様へ」として「今シーズンをもちまして阪神タイガースのユニフォームを脱ぐことになりました。カッコつけた言い方をしましたが、10月1日に戦力外通告を受けました」と報告した。
さらに「戦力外通告を受け、引退すると言えばカッコよく綺麗に去ることができたんだと思うのですが、2016年にアキレス腱が切れた瞬間、甲子園のグラウンドで倒れて引退すると心に誓った僕が、今なおユニフォームを着れている人生です! 僕は、自分から引退すると言って引退できる、そういう野球人生を目標に立てていましたが、またもや目標が達成できなかったです。またふりだしに戻ります!」と綴った。
阪神の関係者などへの感謝の思い、2軍生活での思い出なども記した西岡は、ファンには「ほんとに怪我の連続で申し訳ありませんでした! 怪我から復帰すると鳥肌が立つくらいの歓声は感動でした」とメッセージを送り、「また来年もプロ野球選手として甲子園の土を踏める事を一つの目標として頑張ります」と現役続行への思いも明かしている。
西岡は今季、1軍出場は23試合にとどまり、打率も.132と低迷。阪神では1年目の2013年の122試合出場が最多で、その後は怪我に泣かされて100試合以上に出場したシーズンはなかった。(Full-Count編集部)
野球が好きでそれなりに理解できる人間から見て、ファンでない者からすれば、本人には申し訳ないが、この仕打ちと言うのが何となく解る気がしてる。
別表の選手としての成績と年棒を見れば、他球団の活躍してるまた活躍した選手と比較すれば、この二人に限っては仕事した成績に比してかなり高い棒給だった事が良く解る。特に高橋由伸監督が選手時代は、殆ど働かない年でも高い棒給が下がらず横ばいが数年続いてた事がある。しかも入団時の父親の会社の借金肩代わり(巷の噂話では60億円とも)もしてもらったとも聞けば破格な対応だったと思われる。もしそれが事実であれば巨人のフロントがとった仕打ちは、「気持ち離れ」と解釈出来評価は分かれるであろう。同じ事が西岡選手にも言える。彼はどちらかと言えば働かず高い棒給と言え、渡った米大リーグでの行動を見れば一目両全と言える。しかも高い棒給をちらつかせ、苦労してる歳食った先輩を敬う事もせず横柄な態度からして当然の仕打ちと言える。この二人に言えるのは、常に日の当たる坂道しか知らなかったため、苦労知らずが招いた結果とも言えなくはない。