私はこの拙ブログにて「学習的頭脳」と「生活的頭脳」の違いを先日説明したばかりだった。
「学習的頭脳」は学校で習う所謂学歴と言われるものであり、それに比し、「生活的頭脳」と言うのは家庭で親が生活上で子供に教えるもの、言葉を変えれば、子が親の行いを見て自然に学ぶべきもの、つまり、行儀作法や常識と言われるものである。と書いた。端的に言えば「学習的頭脳」は、一般的に言われる、学校での頭が良いとか悪いとかの事であり、「生活的頭脳」は子は親の鏡と言われるものである。
私には子供が男の子と女の子と夫々二人居たが、昨年の初めに、この内の娘の方を自死で亡くしたばかりで、今は息子一人しかいなくなったが、こんな息子に育てた思い無いと悔やむ毎日である。要するに私は自分の息子に「生活的頭脳」を教えれなかったと言う事になり、偉い事言えない事は重々承知している。が、みのもんたも私と同じだったと言う事になる訳である。
昔より、親を見れば子が解ると言われていた。正にその通りである。持ち馴れない金を持つとロクな事無いとも言われていたがその通りである。普通の人間が宝くじに当たって身を崩すのに似ている。恐らくみのもんたも、成金として身を崩したと言って良いのかも知れない。子は年はいくつになっても、親のDNAを引き継ぎ、一個の権利のある人間と言われないのかも知れない。この親子の場合、毎晩親子で銀座でバレンタイン30年のスコッチを開けると言う信じられない生活である、子が当たり前にと言う方がおかしく、親が子に当たり前の事を教えなかったと言う事なるから、起こるべくして起きた事件と言える。
そしてまた同じ事が皇室・皇太子妃雅子さまにも言えるのでは。父上小和田恒様ご夫婦も同じように雅子様に教えなかったのではないだろうか。
正に私も同じ「この親にしてこの子あり」である。