「戦後、戦後っ子」と言う言葉は今は死語となってしまったのか?

 かく言う私はその戦後っ子のはしりの昭和22年,1947年生まれの紛れもない「戦後っ子第1号」の団塊の世代1号である。戦後それは1945年昭和20年第二次世界大戦(8月15日終戦を言う)の以後の事である。その私は明日にも後期高齢者第1号となるおじいちゃんでもある。今の若い世代には何の事かピンとこない事だろうが、私たちの世代は常に戦後っ子戦後世代と言われて育って来た。事ある毎にその前の世代と分けられて来たのである。そう言う私たちは当然ながらその痛ましい戦争は知らない。ただ言えるのはその戦争の世代である両親からその戦時中の痛ましさや貧しさはその実体験者の話として直に聞いて来た。その戦地の悲惨さは話からだけでも「筆舌に尽くし難い」事として頭にこびりついている。

 何故私が今こう言う話をするかと言えば、その戦後っ子の子孫であるその子供たちは今40歳代を越え、正に円熟味を増し、わが日本国の中核の人材となっている。その子たちは2代後ながら戦後っ子の戦時の話を親からの「また聞き」ながらも聞いているので未だ救いはあると思われるが、問題はその後の世代である。1980年代つまり昭和55年代以後の世代である。この時代は我が国が経済発展を遂げ増々豊かさを増して来たと同時に学校教育(https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/data/d002.pdf)も変わり、高校進学率も90%を超え、大学進学率も40%に迫ろうとした時代だったが、そのお陰で教育も画一的になり詰め込み主義が多くなり、時事や家庭教育が緩慢になり先人たちへの敬いの気持ちが薄れてしまっているのが感じられて非常に悲しくなる。私は企業を経営して半世紀になり若い人たちと話す機会が増える毎にこの敬いの心が薄れていくのが非常に悲しいと思うようになった。先人たちがどんな人でも、先輩として敬い、話す言葉もそれなりに気遣う気持ちが欲しいと感じている。この現象が正に戦後っ子と言う言葉が廃れた現象と言えるのだろうか。