愛子様のグッチバッグ問題、雅子様の気遣いの無さの表れ?

 8月30日、皇太子ご一家は栃木県那須にある那須どうぶつ王国に姿を見せられた。そこで、居合わせた人々の目を釘付けにし、ざわつかせたのは愛子さまが提げられていたバッグだった。
「ダブルGのブランドロゴがバッグ全体に入った、見た瞬間に誰もが“グッチだ”とわかるトートバッグでした。バッグに気づいた女性客からは、“小学生でもうグッチなんて…”とため息が漏れたほどです」(居合わせた観光客)
 そんな高級バッグを持たれる愛子さまを、雅子さまは嬉しそうに見守られていた。
愛子さまが愛用されているグッチのトートバッグは、グッチが2010年11月から展開している子供服のコレクションの今年の春夏の新作で、約4万円の高級バッグですね」(ファッション関係者)
 愛子さまがはっきり高級ブランドのものとわかるものを手にするのは今回が初めてのことだ。
 景気の回復が実感できず、経済的に閉塞感を感じている今、増税年金問題など日常生活に大きな不安を覚えている国民は少なくない。
皇室ジャーナリスト・山下晋司さんはこう話す。
「そんな中、雅子妃殿下が愛子内親王殿下に高級ブランドバッグを持たせていると知れば、国民感情はどうなるでしょう。しかも、妃殿下は治療とはいえ、この10年間、ご公務をほとんどされてこなかったわけですから。
 私的なご活動ばかりが目立ち、さらにブランド品までとなれば、“雅子さまは国民の税金で贅沢されている”と国民が思ってしまう可能性もあります。
皇族方の公私にわたる生活費用が税金から支出されていても、表立って不満が出てこなかったのは、皇室と国民の間に信頼関係があったからです。
 今回のグッチのバッグは、あくまでその一端にすぎませんが、これまで皇室が積み上げてきた国民との信頼関係に溝が生じる可能性があることを両殿下も東宮職も認識していただきたいと思います」
 

これ「愛子さま グッチの子供服コレクションのトートバッグを愛用」と題した女性セブン2013年9月19日号の記事である。
 

 私は以前1回だけこの雅子妃の批判の記事を出したら、ある読者の方より痛烈なる反論を頂いた事がある。雅子さまの「適応障害」と言う病気、どれほど苦しいのかあなたは解らないのかと言う趣旨の反論であったと記憶している。それからの私は、雅子さまの報道が出る度記事を自粛して来たのであるが、表題の記事に対して余りにも我慢ならず今回こうして書かせて頂いた。是非ともその時に反論した読者の方にはもう一度この記事に対してコメント頂きたいものと願っている。前置きはこれくらいにして早速本題に入りたいと思う。
 事実私はこの記事を見て即座に嫌悪感が先に来た。何故なら、皇室何千年の歴史に対して、余りにも気遣いの無い、他人の気を思いやる、気の配る事の無い雅子さまの気持ちを思うと私は言いようのない怒りがこみ上げて来た。確かに馴れない皇室と言う特殊な環境に対しては同情もあり得るが、それも時と場合による事もあると言う事である。
 そう言う意味においては皇后美智子さまの今までの苦しい苦労が台無しになってしまったと言う事である。
 思うに、人間には学習するいわゆ学習的頭脳(学校で習う)と、生活上における生活的頭脳がある。学習的頭脳は学校で習うそれこそ学歴が伴う頭脳である。それに対して生活的頭脳と言うのは、誰にも教えてもらわない、生活上の頭脳である。これは生活する上において、日々の生活でご両親の行いから知らず知らず覚えるものである。これは育ちや環境によって左右されるものである。人間の常識はここから習い覚えるものである。これは前記した常識と行儀作法と置き換えてもよいものである。
 こう言う事から考えて雅子さまの行いはこれ即ちご両親小和田夫妻の常識の無さと置き換えても良い。つまりはそれなりの常識を小和田家は持ち合わせていなかったと言う事になる。
 今回の件を紐解けば、皇后美智子さまの精神が皇太子ご夫妻には受け継がれなかったと言う事になる。端的に言えば、皇后美智子さまは決して外国製品であるブランド品は身に着けなかった。と言うよりは真実は定かでは無いが見える所ではと言う事は解らないが、あったかもしれないが、でも皇后美智子さまは、例え外国製品であるブランド品であってもそれより何倍も高いが国産の特注品を身に着け、日本国の製品を身に着けた、この精神が皇室としての日本国民に対するそれこそ気遣いの表れである。それを雅子さまにも解ってほしかった。これが日本国民の共通の認識ではないだろうか。
 私は、「一生貴女を守る」として雅子さまを戴いた皇太子さまの苦悩は私は余りあると思って同情する。