参議院選自民の大勝に終わり、今後どのくらいの期間になるか解からないが、自民時代が続くと思われる。国民は民主の不安定な政権を嫌い、安定を選んだ結果と思われる。それが吉と出るか凶と出るかはここ何年かを経なければ断定は出来無いが、少なくとも「政治主導」は遠い彼方に行ってしまった事は間違い無いと言える。
私はここ何10年もの間の自民党政治を見て来て解かったのである。形を変えた「政治主導」は確かにいくらかはあった事は事実であるが、それも宰相の人格に依存した時だけであった。しかし、その「政治主導」も真の「政治主導」では無く、官僚・役人が政治に従順であった時のみであった。その宰相とは、佐藤栄作、田中角栄の時と言って良い。その後は全て官僚・役人との対等の「持ちつ持たれつ」の関係の政治であった。今も全くその通りである。石原慎太郎維新の会共同代表の言葉を借りれば、政策立案が政治家の仕事であり、それを履行する政策日程の実務とその行程表は官僚・役人の仕事であるとの事だが、それが真に守られ政治が主導すればの話であり、実際は政策立案がキャッチフレーズに変わり、全ての政策とその全ての実務行程表は全て官僚・役人が担っているのが実情である。それ所以の「官僚・役人の主導政治」なのである。
4年前の政権交代時には、初めて政権を頂いた民主党がその「政治主導」を誤って解釈したがため、官僚・役人が排除の感を持ち、徹底的に反発・抵抗の表れが、鳩山元首相の沖縄問題に凝縮されたのである。これ決して鳩山元首相だけの失態ではない。裏で緻密に政治を操っていた状態が崩れたからである。これが事実である。それは官僚・役人を敵にすればこうなる見本と言って良い。事実官僚・役人にも自民派民主派夫々居る。それが時の天下に影響を及ぼす。うがって見れば国民が思うほど、政治や行政なんて綺麗事では無いのである。逆にこれが政治だと言って良いのかも知れない。いづれにしても政治とはエネルギーを使うものだと誰かが言ったが、正にその通りと言える。