思い出の高級旅館

 最近年を取り一線を離れてみると、今までガムシャラに働いて来て、気が付いたらこんなに気持ちに余裕のある事等考えられなかった。今正に遅ればせながらと言ったところか。考えてみれば今は本当に人生の楽園みたいなものである。
 
 とにかく今までは1年間休みと言う休みは無かったような気がする。特に私の場合は2業種にまたがっているからなお更である。土日は勿論、お正月もお盆も無かったような気がする。休める日と言うのは、仕事業界の親睦旅行とプライベート的には、平日の結婚記念日旅行くらいなものだった。がこの親睦旅行は何10年もの間幹事役だったから、かえって大変で楽しむなんては無かった。お陰で旅行会社の添乗員くらいは出来た。添乗だけでは無い。何ヶ月も前から旅行プランを練り、時には下調べと称し、自由に旅行出来た事があったから、口で言うほど大変だった訳でも無いと言う事か。これを役得と言う。(笑い)だから、国内は言うに及ばず、海外も大概行った。しかし、やっぱり日本人である。印象に残っているのは、もてなしの厚い高級旅館だった。
 
 何年頃か忘れたが、この時は親睦旅行では無かったが、私が業界の全国表彰を受ける事になり、横浜に泊まる事と相成った。ところが私の県の業界のお偉いさん方が付き添いで行く事と相成った。私の全国表彰への相乗りである。その付き添い4人も居た。総勢5人である。それでそのお偉いさんたち、私に仕切りに口止めを強要した。この事は会員に黙っていろという事だった。私にかこつけ豪勢旅行を計画したのだ。横浜で表彰を受けるのだから当然に横浜に1泊と思っていた私は、渡された旅行日程表を見て驚いた。何と3泊4日になっていた。表彰会場は横浜のインターコンチネンタルホテル(みなとみらいの帆の形をしたホテル)だったからそこに1泊だと思っていたので、後の2泊が伊豆の修善寺だったから正直喜んだ。歌の文句じゃないが天城越えをして温泉に浸かって、地酒を頂くなんザ、ホント天国だ。今でも忘れない。修善寺の「柳生の庄」と言う高級旅館。料理もさることながらそのお客へのサービスと心配り、正直言って私数々旅行あれどこんな旅館始めてであった。結構呑み過ぎたのでトイレに起きたら、部屋の入り口の次の間に仲居さんが膝付いて座っているではないか。トイレを出たらサーッと温かいお絞りをくれたのである。こんな事初めてであったからヤボにも私はその仲居さんに聞いた。いつからこうやって座っているの?いつまで?当然に話してくれる訳無いのにとっさに私は聞いてしまった。仲居さん黙ってニッコリ笑っているだけだった。何故か私は満ち足りた気分で深い眠りに入ったのは言うまでも無い。
 
 帰って来てからどうも気になり、お偉いさんにコッソリと、あの旅館1泊いくらだったか聞いたが、とうとう教えてくれなかった。教えてくれないとなれば知りたがるのが人間の常、そう言う事にはしつこい私である。ハッキリとは言わなかったが、10万円/泊位との事だった。やはりなと頷き、妻を一度はこう言うところにと思っていた私は何故か無言になっていた。(笑)