黒川弘務東京高検検事長の定年延長問題は民主主義国家への挑戦である!

 異例の人事が発表された2日後の日曜日。渦中の“官邸の守護神”はこの日も朝の日課を欠かさなかった。
 自宅から姿を現した黒川弘務東京高検検事長に「週刊文春」記者が声を掛けると一旦は駆け出したものの、やがて大型犬を連れて歩き始めた。
――今回の定年延長は検事総長就任含みですか?
「……」

――「安倍政権ベッタリ」と言われる黒川さんが検事総長になって部下の検察官はどう思うのでしょうか?
「……」
――“黒川検事総長”で政界捜査はできるんですか?
「……」

 黒川氏は「取材は法務省を通して下さい」と答え、こう付け加えた。
「あなたのせいで僕の趣味の犬の散歩ができなかった」
 黒川氏を巡る“横紙破り”の人事発令の衝撃は、コロナウイルス禍で揺れる霞が関に瞬く間に広がった――。

政治介入を許さない“聖域”だったはずが……
 1月31日、政府は2月7日に63歳の定年を迎える黒川氏を8月7日まで勤務延長とする閣議決定を行なった。検察庁法は検察トップである検事総長の定年を65歳、ナンバー2である東京高検検事長以下の定年を63歳と定めている。法務省側はこの規定に従い、黒川氏を退官、後任に黒川氏の同期で名古屋高検検事長の林真琴氏を据える人事案を練っていたが、これを官邸が土壇場でひっくり返したのだ。

「次期検事総長に黒川氏を起用するために国家公務員法に基づく定年延長の特例規定を持ち出した形です。林氏は今年7月30日の誕生日で定年を迎えるため、検事総長の目はほぼ消えた。現検事総長の稲田伸夫氏も7月には検事総長の平均在任期間の2年を迎えます。稲田氏が退官すれば今夏には安倍政権寄りの黒川検事総長が誕生する可能性が濃厚になった」(司法記者)
 法務省は、政官界の不正に捜査のメスを入れる検察庁という特別機関を抱えており、検察首脳人事はこれまで政治介入を許さない“聖域”とされてきた。政権側も検察組織の中立性を尊重し、法務検察側の人事案を追認してきたが、その不文律を踏みにじる前代未聞の事態に、ある検事総長経験者もこう危惧する。
「この人事で官邸は『法務検察も聖域ではない。いつでも人事権を行使できる』と言いたいのかもしれません。ただ、今回の件は将来に禍根を残す。ルールを曲げてまで黒川氏を残せば、官邸に嫌われると総長にはなれないという、ご都合主義が罷り通ってしまう」
 折しも昨年12月25日にはIR汚職東京地検特捜部が秋元司衆院議員を逮捕。“最強の捜査機関”が10年ぶりにバッジを挙げ、息を吹き返したとされる中、官邸と法務検察との間で何が起こっているのか。

官房長官と黒川氏は“相思相愛”
 官邸関係者が明かす。

「黒川氏は菅義偉官房長官から絶大な信頼を寄せられ、いまも定期的に会食をする仲です。また、官房副長官杉田和博氏とは菅氏以上に近しい関係で、頻繁に電話で連絡を取り合い、時には捜査の進捗状況などの報告を行なっているとみられています。杉田氏は中央省庁の幹部人事を握る内閣人事局長を兼務しており、黒川氏の人事発表後にも『国家公務員の定年延長はよくあること』と囲み取材で語るなど、今回の人事のキーマンでもあります」
 黒川氏は今でこそ安倍政権ファーストの“官邸官僚”として知られるが、若き日の彼を知る特捜OBの弁護士はこう振り返る。

「黒川氏の同期のなかには、のちに特捜部長になった佐久間達哉氏もいました。当時検事になったばかりの黒川氏と佐久間氏が先輩の特捜検事の部屋に『僕らも将来特捜部に行きたいんです』と教えを請いに行っていた姿を覚えています」
 1997年、念願の特捜部に配属された黒川氏は故新井将敬代議士の証券取引法違反事件などを担当。証拠を集め、冷静に相手から供述を引き出す手腕は高く評価されたが、翌年には法務省が彼を引き上げた。それ以降、彼は“本省の人”とみなされ、刑事局総務課長、大臣官房秘書課長を経て、エリート法務官僚としての地歩を固めていくのだ。

「菅氏との接点は今から約15年前のことです。当時振り込め詐欺が増加し、そのツールとして足が付きにくいプリペイド携帯の悪用が問題化していました。菅氏は振り込め詐欺撲滅ワーキングチームの座長として議員立法プリペイド携帯の販売禁止法案の提出を目指していたのですが、これに携帯業界などが反発。そこで購入の際に本人確認を厳格化し、転売を封じる“規制法”として成立に漕ぎつけたのですが、この時、菅氏の意向を汲んで動いたのが黒川氏でした。菅氏は周囲に『凄くできる奴がいるんだよ』と手放しの褒めようで、それ以来、法務省案件で何かあると『黒川がやりますから』が常套句になった。一方の黒川氏も『次の総理は菅さんしかいない。役人とは違うスピード感がある』と相思相愛です」(政治部記者)
 12年末に第二次安倍内閣が発足し、菅氏が官房長官に就くと、その関係はより強固になっていく。
法務省官房長になった黒川氏は与野党議員などへのロビイングで本領を発揮。議員への法案説明ひとつとっても、資料の作り方もうまいし、説明に行く議員の順番やタイミングまですべて彼の差配でした。野党にも豊富な人脈があり、警察が絡む党内のトラブル案件の相談も受けていました。ある野党議員は黒川氏から『大丈夫です。政治案件は本省マターですから』と暗に立件の可能性を否定してもらい、ホッとしたと話していた」(法務省関係者)

政権中枢の疑惑を立件せず
 16年1月、「週刊文春」は安倍政権の屋台骨を支えていた甘利明経済再生相の口利き疑惑を当事者の生々しい証言で詳細に報道。あっせん利得処罰法違反の疑いは明白だったが、特捜部は甘利事務所への家宅捜索さえ行なわず、不起訴処分とした。
「14年の小渕優子経産相への捜査ではハードディスクを電動ドリルで破壊する悪質な隠蔽工作まであったが、議員本人までは立件せず。いずれも黒川氏による“調整”と囁かれました。そして政権中枢の疑惑を立件しなかった論功行賞といわんばかりに、官邸は同年夏に黒川氏の事務次官昇格人事をゴリ押しするのです」(同前)
 法務検察は、黒川氏と同期の林氏を将来の検事総長候補と位置付け、黒川氏を地方の検事正として転出させ、林氏を事務次官とする人事案を作成。ところが官邸側はこれを蹴り、露骨に人事に介入してきたのだ。

「官邸は過去3度廃案になっている『共謀罪』の成立を見越して、黒川氏の調整能力が欠かせないと判断し、彼の次官昇格を求めたのです。翌年の共謀罪の国会審議では答弁が心許ない金田勝年法相に代わり、刑事局長だった林氏が矢面に立ち、法案成立のために粉骨砕身した。ところが、17年夏の人事では再び官邸が介入。裏で汗をかいた黒川氏の留任が決まるのです」(同前)
 そして18年1月。林氏は三たび、官邸に法務事務次官就任を阻まれ、名古屋高検検事長に転出することになったのである。
「きっかけは大臣官房に“国際課”を創設するにあたっての省内の軋轢でした。当時の上川陽子法相はハーバード大出身のグローバル志向で、海外で活躍できる法曹家の育成を目指す“司法外交”をテーマに掲げていました。その司令塔として官房に国際課を置くことは、黒川氏の構想とも合致した。一方で、省内で絶大な権力を持つ刑事局にはかねてから国際課があり、その名称と機能を官房へと移すことに、局長の林氏が異を唱えたのです。『きちんと説明した』『いや、聞いていない』という応酬で、大臣官房vs.刑事局の対立構図になった。結果的に刑事局の国際課は『国際刑事管理官室』に名称を変更。グローバル化に舵を切った上川氏は林氏の次官就任を拒み、官邸の×印がついた」(同前)
 片や黒川氏は「自分から事務次官になりたいと言った訳ではない」と嘯(うそぶ)き、検事総長ポストにも執着していないかのような言動を繰り返してきた。

犬の散歩以外の黒川氏の趣味は麻雀とカジノ
「黒川氏は『自分が総長にならない方がいい。自分はこれまで“安倍政権べったり”などと散々悪口を言われてきた。新任検事や若手の検事がトップをみて、士気が下がるのが怖い』と敢えて意欲を隠してきました。ところが、その言葉とは裏腹に、昨年9月の内閣改造では菅氏に近い河井克行氏が法相として入閣。黒川氏の総長就任への布石だとの見方が広がり、河井氏が公職選挙法違反の疑惑で辞任した10月以降、検察首脳人事は再び迷走を始めるのです」(検察関係者)
 現総長の稲田氏は、今年4月に京都で開催される「国連犯罪防止刑事司法会議」に出席し、そこでの講演を花道に退官する予定だったが、官邸の意を受けた辻裕教法務次官から黒川氏の63歳の誕生日までに退官するよう暗に迫られ、“焦り”を滲ませていた。

「その意趣返しか、事件捜査に慎重だった稲田氏が年末年始を挟んで河井夫妻の徹底捜査を指示。担当する広島地検には岡山や山口、そして大阪地検特捜部からも応援検事が入り、1月15日の一斉家宅捜索に繋がったのです。稲田氏は河井捜査で菅氏側にプレッシャーを掛けたともっぱらでした」(同前)

 さらに1月下旬には、IR汚職の捜査で新たに「500ドットコム」とは別の大手カジノ事業者日本法人にも家宅捜索が入ったことが明らかになった。一連の捜査に、菅官房長官は「正規の献金までやり玉に挙がっている」と不快感を示し、杉田副長官も「あまりに荒っぽい。特捜はどこまでやるんだ」と周囲に危惧を漏らしているという。そんな最中に両氏と近しい黒川氏を次期検事総長に内定させるかのような史上初の定年延長を発令すれば、捜査現場に与える心理的影響は計り知れない。それこそが安倍官邸の狙いではないのか。
「皮肉なことに黒川氏の犬の散歩以外の趣味は麻雀とカジノ。休日にはマカオや韓国にカジノに出掛けることもあるそうで、カジノの内情を知る彼はIR捜査に一見積極的だった。河井氏についてもかつて法務副大臣だった頃の高圧的な態度が我慢ならなかったようで、捜査にはっぱをかけていた。つまり、彼は捜査を煽る一方で、官邸には調整役として恩を売る。彼が“腹黒川”と揶揄される所以で、そうして自分の存在意義を高め、総長の座をほぼ手中に収めたのです。

 禁じ手人事の見返りに、黒川氏は今後官邸側から、河井捜査だけでなく、菅原一秀議員の公選法違反の捜査でも議員らを無罪とするための役回りを負わされかねません」(同前)
 特捜部を率いる森本宏部長は2月に地方の検事正に転出する見込みだったが、5月まで在任期間が延びたとされる。17年9月からの異例の長期態勢を率いるエースの後ろに最後まで君臨するのも黒川氏となった。
 官僚の忖度を数多招いてきた安倍長期政権に、最後の“聖域”も膝を屈した。


これ『これでいいのか 検事長・黒川弘務氏の定年延長で「安倍政権ベッタリ」の検事総長が誕生する』と題した週刊文春 2020年2月13日号の記事である。


「政治の世界は一寸先は闇だ!」と誰が言ったか解らないが、霞が関官僚にとって、自分らの首を握ってる内閣には一生忖度なのかも知れない。ましてや安倍1強で作られた内閣人事局を見れば尚更である。
早安倍政権に至っては国古以来の三権分立さえも崩壊させてしまったと言って良く、日本国政治さえも壊してしまった。小泉元首相の「自民党をぶっ壊す」なんぞかわいいもんである。安倍首相は「自民党をぶっ壊す」どころか日本国政治さえ壊してしまった。これは独裁者ナポレオン以上の独裁者であり、その1翼を担った菅官房長官も全く同じである。これは民主主義国家としてあるまじき行為であり、日本国政治史上最低の政権と言わねばならない。