悲運の亀井静香 でも彼は中小企業主の月光仮面だった

 最近の長引く不況による自殺者は増える一方である。その中でも病気と経営不振が殆んどである。昔は病気と言えば、病気を苦にして将来を悲観してと言うのが多かった。しかし現在の病気でと言う者の半数以上は、現代病のうつ病によるものが多いと聞く。また一方の経営不振の場合は、文字通り経営不振=借金過多によるものが100%である。 その経営不振はどこから来たのか。これも昔は放漫経営が主であり、所謂経営者の無駄遣いであった。しかし、戦後の経済復興期には殆んど無かったこの経営不振による自殺、いつからであろうか。
 これは社会状況にもよるが、戦後復興期が終わり、バブルの時代を過ぎたあたりからだろうか。たまたまだったのかあるいはそうだったのかは解からないが、時の内閣小泉純一郎であったのが不運だったのか、それとも時が小泉純一郎だったからなのか。いづれにしてもこの男からこの不況始まったと言って良いように思われる。何故なら竹中平蔵を閣僚に起用し、「官から民へ」という理念にもとづく改革の旗振り役を任せたからに他ならない。彼らは特殊法人改革においては「原則として廃止か民営化」を掲げ、郵政民営化道路公団民営化・政策金融機関再編・独立行政法人の再編・民営化を実現させた結果、日本経済は失われた10年と呼ばれた長期停滞を脱出したかに思われてはいるが、対米従属路線による貧困を招き、結果格差社会と言われる社会現象をも引き起こした事は否めない事実であるからである。
 亀井静香本人を見れば言葉は少々柄は良くないが、情のもろい正直人である。政治家としてはその詰めが甘く、騙されやすかった。その一番が2001年4月、自民党総裁選挙に出馬するが、小泉純一郎と政策協定を結び本選挙出馬を辞退、小泉の支援に回った。しかし、小泉が首相になった後、政策協定は全て小泉に一方的に反故にされた事が良い証だが、それの懲りず国民新党副代表である自見庄三郎が閣僚として消費税増税法案に署名したため平成24年4月5日に党内の連立維持派に亀井は、国民新党代表の解任された事も結果的には騙されたと同じで事である。これらを考えれば亀井静香と言う男は大事な節目節目では悲運な男と言って良い。
 2009年(平成21年8月30日の総選挙により自民党から民主党に政権が移行した。所謂政権交代である。この内閣は民主と国民新及び社民との連立であった。そのために、内閣府特命担当大臣 (金融担当)を担当した国民新党党首亀井静香は直ぐに手を打った。当事このような経済状況に喘いでいた中小企業への「貸し渋り貸し剥がし」対策用に中小企業金融円滑化法を成立させた事である。それが再度の政権交代した今でも、生きている事である。これによって弱小中小企業主は生き延びているのである。これは正に名家に生まれながらも、先祖が食いつぶし苦学生として苦労した亀井静香だから出来た事でもある。それこそ正に彼は時の中小企業主の月光仮面だったと言って良いのである。