「違和感を拭えなかったのは『国民の生活が第一』とのキャッチフレーズ。単なるポピュリズムで政権を取っても自民党以上のバラマキになるのではないか」。前原誠司国家戦略担当相は近く著書を出版、この中で小沢一郎元代表(現在は新党「国民の生活が第一」代表)を中心に作成された民主党の2009年衆院選マニフェスト(政権公約)に当時から不信感を募らせていたことを明らかにした。
「政権交代の試練 ポピュリズム政治を超えて」(新潮社)と題する著書で、前原氏は主要公約だった高速道路無料化やガソリン暫定税率廃止について「当初から納得できなかった」と告白。小沢氏に関しても「見え隠れするのは政権を取れば後はどうにでもなるとの考えで、自民党の最も古い体質を引きずった政治家かもしれない」と強く批判した。
「政権交代の試練 ポピュリズム政治を超えて」(新潮社)と題する著書で、前原氏は主要公約だった高速道路無料化やガソリン暫定税率廃止について「当初から納得できなかった」と告白。小沢氏に関しても「見え隠れするのは政権を取れば後はどうにでもなるとの考えで、自民党の最も古い体質を引きずった政治家かもしれない」と強く批判した。
これ時事通信の報道である。
私はこの報道を見て、耳を疑い、この前原なる人間に非常なる嫌悪感と不信感を持った。理由は2つある。
まず、1つ目は、どんな人間でも好き嫌いは必ずある。それを非難は出来ない事は重々承知しているが、そこからが人間としての度量と程度の問題である。少なくても人間、過去、現在、未来において、言って良い事と悪い事があり、その域をこの男は逸脱している。この政権公約(マニフェスト)こそ政治家としてのルールと信条において最大の条件である筈である。それをこの男は自分がその党に所属しそしてその役員としてそれに加担もした筈である。それを僅か3年の今頃になってそれが翻意では無かった等と言う事は、男としてあるいは政治に身を置く者として、自己否定に繋がる恥ずかしい以上の女々しい、女の腐った以上に情けない卑怯な輩である。
こんな事、過去の政治家でも言ってない本当に恥ずかしい事である。こんな事は表だって言うに非ず、誰かが言ってたが、墓場まで持って行く事こそ武士であり政治に身を置く者としての最低の条件ではないのかと私は思っている。
こんな事、過去の政治家でも言ってない本当に恥ずかしい事である。こんな事は表だって言うに非ず、誰かが言ってたが、墓場まで持って行く事こそ武士であり政治に身を置く者としての最低の条件ではないのかと私は思っている。
二つ目は自分がその党の中枢にいながら、今頃こんな事言うとは何事か。だったら異議を申したらよかったのに、やらせるだけやらせておいて、結果が悪くなると他人のせいにする、人間として一番恥ずべき行為である。それをこうしてオフレコならまだしも、著書として残すなんて、何と言う頭の構造であろうか。こんなのその事の良し悪しに関係なく、その手段そのものにそれこそ違和感以上の嫌悪感を感じる。最低の人間でもある。