今回の自民党の解散要求劇、輿石幹事長の考えの方が正しい

 民主党の輿石幹事長は9日の記者会見で、8日の野田首相と谷垣自民党総裁の会談で衆院解散について「近いうちに国民に信を問う」と合意したことに関して、それぞれ9月に党首選を迎える首相と谷垣氏が再選できなければ白紙になる可能性があるとの認識を示した。
 輿石氏は「2人がいなくなれば、2人の話は終わりでしょう。継続していると考えるなら、その時点で再度(党首会談を)やったらいい」と述べた。その上で、両氏の合意について、「社会保障・税一体改革関連法案を成立させるための合意だった。それが(10日に)成立すれば一区切りになる」とも指摘した。
 輿石氏の発言は「2人とも代わってしまうことは、まずないと思う」と断った上でのものだが、谷垣氏は9日夜のBSフジの番組で「輿石さんふぜいの発言に正面から答えない。こんなバカな発言をしている人が与党の幹事長をやっていることは信じられない」と強い不快感を示した。
 
 
この記事読売の報道である。

 
 
 この記事を見て、私は昔の我々建設業界の談合と全くソックリと変に感心した。(笑い)
 自民党の谷垣総裁は間違っている。考えて見ればこれは何の事は無い単純な野田首相と谷垣総裁の談合だからである。だからこそ野田首相は、谷垣総裁の書面での要求を拒否したのだ。談合だったら書面で要求する方がそもそもおかしいのである。要するに非合法の談合だからである。そう言う意味においては、輿石幹事長は正しい。書面にしちゃえば非合法で無くなり、公序良俗かどうかの是非論にもなり談合云々から外れてしまうからである。そもそも何故書面にしないで、口頭なのか。これが談合の神髄に行き付く。要は人間と人間の信頼に基づくからである。この状況下でなければ談合は存在しない。言った言わないの世界で、キッチリ言を守るのが談合である。世の全てを書面にして合法化すれば、それは契約になってしまう。とすれば違約条項が必ず従属してしまう。談合とはつまり守って当たり前、守れなければ当然非合法だからペナルティーは無し、本当にあるのは人間と人間の信義のみである。だから談合は人間の信義において、憲法や法律より重いのである。もし守れなければペナルティーは無いが、破った人間はその人間に対して不義理者として、一生談合の世界では生きれなくなってしまう。一般の方々には理解出来ないのかも知れないが、談合とはそう言うものである。もう一度言う。そう言う意味においては、輿石幹事長は正しいのであり、自民党の谷垣総裁は間違っているのである。だから自民党の谷垣総裁は堅物で公家と言われる所以である。こう言う方は政治においては党人的裏方の国対は出来ないのである。これらは人間の性格によると言う事だろう。
 少なくとも輿石幹事長が言うように、談合した二人の内どちらかが役職を離れれば、当然にその約束は失効するのが当然であり、「仮に2人がいなくなったら、2人の話は終わり」と、どちらかの党首が交代すれば合意は無効になるとの考えは当たり前であり、自民党の谷垣総裁がこの事で輿石幹事長を「政治家失格だ」と言う方がかえって可笑しいのである。
 恐らく谷垣総裁は真面目すぎて真っ直ぐ過ぎて、そのような経験あまりしてこなかったのではと私なりに解釈してる。
 余談だが私からすれば、こう言う種類の方は、冗談の解からない扱いの困る種類の方と言って、信義の話出来ない方と思う。自民党の国対族の方々大変だったろうと同情したい気持ちである。